2010年03月31日

ロスチャイルドの世界革命行動計画。


1773年、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが30歳の時、フランクフルトに12人の実力者を招いて秘密会議を開きました。

初代ロスチャイルドは、その会議で全世界に対する絶対的な支配権を手中に収めるための「二十五項目の行動計画書」から成っている「世界革命行動計画」について述べました。

以下はその要約ですが、その後のロスチャイルドは、まさにこの計画を忠実に実行していきました。

ロスチャイルドの世界革命行動計画

1.人間を支配するには、暴力とテロリズムに訴えると最善の結果が得られる。権力は力の中に存在している。

2.政治権力を奪取するには「リベラリズム」を説くだけで十分である。そうすれば有権者は1つの思想のために自らの力、特権を手放すことになり、その放棄された力、特権をかき集めて手中に収めればいい

3.「金の力」はリベラルな支配者の権限を奪取した。
「自由」が「信仰」に置き換えられても、大衆にはどのようにして自由を享受すればいいのかわからない。
「自由」という思想を利用すれば「階級闘争」を生じさせることも可能だ。
そして勝者は必ず「我々の資金」を必要とするだろうから、計画さえ成功すれば、既存政府が内敵に破壊されようが外敵に破壊されようが、それは重要問題ではない。

4.道徳律によって支配を行なう支配者は、自ら攻撃にさらされてその地位を追われかねないので、熟達した政治家とは言えない。
最終目標に到達するために利用されるありとあらゆる手段を正当化できる。
率直さや正直さといった国民としての立派な資質は政治に支障をきたすから、支配となろうとする者は狡賢さ、欺瞞に訴えなければならない

5.我々の権利は力の中にある。
私が見出している新たな権利とは、強者の権利によって攻撃する権利であり、既存秩序、規律のすべてを粉砕し、既存のすべての制度を再構築する権利であり、リベラリズムの中で自発的に放棄された権限に対する権利を我々に委ねた人々の主権者となる権利である。

6.我々の富の力は、いかなる狡賢さ、力によっても損なわれないような強さを獲得する時まで、表面化しないよう保たれなければならない。
戦略計画の基本路線から逸れることは「何世紀にも及ぶ営為」を無にする危険性がある。

7.群集心理を利用して大衆に対する支配権を獲得すべきだ。
暴徒の力は無目的で、無意味で、論拠を持たないために、いかなる側の提案にも影響される。
独裁支配者だけが暴徒を有効に支配できる。

8.酒類、ドラッグ、退廃的道徳、あらゆる形態の悪徳を代理人を通じて組織的に利用することで、諸国家の若者の道徳心を低下させなければならない。賄賂もペテンも裏切り行為も、それが我々の目的達成に役立つのであれば、続けられなければならない。

9.そうすることで服従と主権を確保できるなら、何がなんでも躊躇うことなく財産を奪い取る権利が自分達にはある。
平和的征服の道を進む我々の国家は、盲従を生じさせる「恐怖」を維持するための目的に適う方策で置き換える権利を有する。

10.我々は「自由・平等・博愛」という言葉を大衆に教え込んだ最初の民族である。
今日に至るまで、この言葉は愚かな人々によって繰り返されてきた。
ゴイムは、賢者であると自称する者さえ、難解さゆえにこの言葉を理解できず、その言葉の意味とその相互関係の対立に気づくことさえない。これは我々の旗を掲げる軍隊を我々の指示と統制のもとに置く言葉である。
「自由・平等・博愛」のための場など自然界に存在しない。
ゴイムの自然発生的で世襲的な貴族社会の廃墟の上に、我々は金による貴族社会をつくりあげた。
それは我々の拠りどころ、すなわち富を参加資格とする貴族社会である。

11.自ら戦争を誘発しながら、敵対するどちらの側にも領土の獲得が生じない和平会議を主導しなければならない。
戦争は対立する双方の国家がさらに負債を抱え込み、我々の代理人の手中に落ちるよう主導されなければならない。

12.財を活用して、我々の要求に素直に従い、我々のゲームの駒となって、正規の助言者として政府を陰で操ることを我々から任じられた学識と独創性を備えた人物にすぐ利用され得る候補者を選ばなければならない。
助言者として我々が任じる人物は、全世界の出来事を支配するために、幼い頃から我々の考えに沿って育てられ、教育され、訓練された人物にすべきである。

13.誹謗、中傷、偽の情報を流したことでどのような波紋が広がろうと、自らは姿を隠したまま、非難されることがないようにしなければならない。
そして、プールした金を活用し、大衆への情報の出口すべてを支配すべきである。

14.状況が悪化し、貧困と恐怖によって大衆が支配されたときには、常に代理人を表舞台に立たせ、秩序を回復すべきときが来れば、犠牲者は犯罪者や責任能力のない人々の犠牲となったと解釈されるよう、ことを進めなければならない。
計算済みの恐怖支配が実現した時点で、犯罪者や精神異常者を処刑すれば、我々自身を抑圧された人々の救世主、労働者の擁護者として見せかけることができる。
実際のところ、我々の関心は正反対で…減らすこと、すなわちゴイムを殺害することにある。

15.我々の力を行使すれば、失業と飢えがつくりだされ、大衆にのしかかる。
そうすれば、自然発生的貴族社会にかつて与えられた以上に確実な資本の支配力が生じる。
代理人に暴徒を支配させることで、「暴徒」を利用して、行く手を阻むすべての人間を一掃することは可能である。

16.フリーメーソンへの潜入については、自分たちの目的はその組織および秘密厳守のフリーメーソンから提供されるものはすべて利用することである。
ブルー・フリーメーソン内部に自らの大東社を組織して破壊活動を実行しながら、博愛主義の名のもとで、自らの活動の真の意味を隠すことは可能である。
大東社に参入するメンバーはすべて、勧誘活動のために、そしてゴイムの間に無神論的唯物主義を広めるために利用されなければならない。
全世界を統治する我々の主権者が王座に就く日が来れば、この同じ手が彼らの行く手を遮る可能性のあるすべてのものを払いのけることだろう。

17.代理人は仰々しい言い回し、大衆受けのするスローガンを生み出せるよう訓練されなければならない。
大衆には惜しみなく約束しなければならないからである。
約束された事と反対の事は、のちになれば常におこなえる。
「自由」と「解放」という言葉を使えば、ゴイムを煽って愛国心を駆りたて、神の掟、自然の掟に逆らってでも戦うという気にさせることができる。
我々が支配権を得たら、神の名そのものが生きとし生ける者の辞書から消し去ることになる。

18.恐怖支配は、手っ取り早く大衆を服従させるもっとも安上がりな方法だ。

19.政治・経済・財政の助言者の仮面をかぶった我々の代理人が、国家的および国際的出来事の背後に潜む“秘密権力”の正体が暴かれるのではないかと心配することなく、我々の命令を実行できるよう、すべての戦争のあとには、秘密外交が主張されなければならない。
秘密外交によって、我々の代理人が関わらないかぎり、諸国家は些細な個人的取り決めさえも結ぶことができないような支配権が確保されなければならない。

20.最終目標である世界政府に到達するためには、大規模の独占、すなわちゴイムの中でも最も富ある者さえ我々に頼るほど、莫大な富の蓄積が必要とされるだろう。
ここにお集まりの皆さんは、経済通でいらっしゃるから、こうして協力することの意味をあっさり計算されることと思います。

21.ゴイムからその不動産、産業を奪うため、経済的な国家利益および投資に関する限り、重税と不当競争を組み合わせてゴイムの経済破綻を引き起こさなければならない。
国際舞台においてゴイムが商売ができないように仕向けることは可能である。
つまりは原材料の巧みな支配、短時間労働および高賃金を求める組織的煽動運動の普及、競争者の助成によってそれは実現できる。
賃金の増加で労働者が潤うことが決してないよう状況を管理しなければならない。

22.最終的には、我々の運動に尽くす少数の金持ち、および我々の利益を守る警察と兵士と、プロレタリアートの大衆が残ればいい。
ゴイムに殺し合いをさせるため、大々規模の武装増強が開始されなければならない。

23.世界単一政府のメンバーは独裁者によって任命され、科学者、経済学者、財政専門家、企業家、大金持ちの中から選出される。
実質的には万事、数字(カネ?)で解決がつく。

24.代理人はその誤りを我々が承知している理論、原則を教え込むことで、社会の若年層の精神を惑わせて腐敗させる目的で、あらゆる階級、あらゆるレベルの社会、政府に潜入しなければならない。

25.国家法および国際法については、いずれも変えるべきではなく、歪曲して最初はその法を覆い隠し、やがては見えなくさせるような否定的解釈を行なうだけで、現状のまま利用しつつ、ゴイムの文明を破壊しなければならない。
我々の究極の目的は法を調停で置き換えることである。
我々に対してゴイムが武装蜂起するのではないかと、皆さんはお考えになるかもしれませんが、我々は西ヨーロッパにおいて、どのような強者さえ縮み上がるような恐怖の組織を持っています。
危険に脅かされないうちに、こうした組織を諸国家の各都市に組織することにいたしましょう。
☆ 
ゴイムとは、私たち一般人を指します。


【参考】
•『世界革命行動計画』

つづく。
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2010年03月28日

続・ロスチャイルドの歴史。


1822年、兄弟5人が揃ってハプスブルグ家のオーストリア皇帝から男爵位を授与されることになりました。

当時、迫害されていたユダヤ人としては異例の出来事でした。
当時のヨーロッパ諸国のすべてがロスチャイルド商会をあてにするようになり、ヨーロッパ全土の王室がロスチャイルド家にお金を借りに来ることになりました。

そうした結果、1815年当時、5つのロスチャイルド商会の資産総額は333万フランでしたが、3年後には4200万フランとなり、10年後には1億1840万フランにも膨れあがりました。

この額は自己資本だけの控えめな計算で、実際は1億6500万フランを超えていたといいます。このうちパリ・ロスチャイルド商会の推定資産は3700万フラン。

パリ第2位のラフィット銀行が700万フラン。
ナポレオンが設立した発券銀行であるフランス銀行でさえ6000万フランの時代ですから、ロスチャイルド商会の総資産1億6500万フランがいかに大きかったかがわかります。

世界に広がるロスチャイルド一族その後、ロスチャイルド家は世界経済、ひいては世界史に対して、密かに大きな影響を与えていくことになります。

1836年、ネイサン・ロスチャイルドは58歳で死亡しましたが、翌年、フランクフルト・ロスチャイルド商会は米国に代表者としてオーガスト・ベルモントを派遣しました。

オーガストは、のちに黒船で浦賀に来航したペリー提督の娘と結婚。
ペリー家はモルガン家と結びつきボストン財閥を形成します。

ちなみに、太平洋戦争勃発まで駐日米国大使を務めたジョセフ・グルーも、ペリー一族でした。

オーガスト・ベルモントは、1856年には民主党の党首にまで上りつめ、約20年間その地位にとどまり、政治と実業界に影響を与えました。

また、ロスチャイルドは、もう一人の代理人ジェイコブ・シフのクーン・ローブ商会を通じて、ロックフェラー、ハリマン、カーネギーに資金を提供して、これらを巨大財閥に育成しました。

ユダヤ人嫌いで有名なJ・P・モルガンもロスチャイルドから資金提供を受けて育てられた財閥だったのです。

ネイサンの息子ライオネルの時代に、ロンドン・ロスチャイルド商会は18ヶ国の債券16億ポンドを取り扱っていますが、これは現在価値でいうと、ほぼ10兆円にも達する金額です。

彼らはロシアに君臨した女帝エカテリーナ二世の後継者であるアレクサンドルと皇帝二コライの財政にも入り込みます。

パリの末弟ジェームズはフランスの8大鉄道で12の重役ポストを占めて鉄道王となりました。

彼が1868年に死去した時の遺産は6億フラン以上。
6億フランは、フランス国内の他のすべての金融業者の資産総額より1億5000万フランも多いと推定されています。

史上最大の大富豪ロスチャイルド商会は、オーガスト・ベルモントの活躍でアメリカに広大な利権を広げ、ロンドン一族も国際的な事業に乗り出しました。

1875年エジプトがスエズ運河の株を売りに出そうとしているのを知ったイギリスは、フランスに先手を打って急いで購入しようとしましたが、イングランド銀行からお金を引き出すには国会の承認が必要でした。

一刻を争う事態に当時の首相ディズレリはライオネル・ロスチャイルドのもとに急使を飛ばし「明日までに400万ポンドを貸してください」と頼みました。

ライオネルが「担保は」と尋ねると「イギリス政府です」と使いが答えたので「結構です」と言って、たちまちポンと400万ポンドを揃えて17万6000株を購入し、イギリスがスエズ運河の最大株主となったといいます。

ちなみにイギリスの三枚舌政策として悪名高い、パレスチナでのユダヤ人国家建設を約束した「バルフォア宣言」をイギリス政府に行わせたのは、このライオネルでした。

19世紀の100年間でロスチャイルド一族が得た富は、4億ポンド超えると推定されています。

大英帝国の歴史上、最大の富豪はヴィクトリア女王でしたが、女王の資産は最大でも500万ポンドと推定されています。

ロスチャイルド家は、全員がヴィクトリア女王の何倍かを所有していたのです。4億ポンドは現在価値でいうと800億円になります。

それから100年間の利回りで、時価の変化をまったく無視しても、自動的に現在では200兆円に増大していることになります。

【参考】
•『赤い盾』
•『ロスチャイルドの密謀』

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2010年03月27日

「友愛」とフリーメイソン。


なわ・ふみひと氏のHPを訪ねてみると実に様々な著書のダイジェストが掲載されています。
参考になるものがたくさんありますので是非一度訪ねてみてください。

http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/update2010.html

日本博識研究所・著  日東書院   「2012年の黙示録」より。

●グラバー叙勲に力を尽くしたエリート外交官もメイソンだった。
  トーマス・グラバーは1908年、外国人として初めて勲二等旭日重光賞を授与された。これに力を尽くしたのが林董(はやしただす)といわれている。
  幕臣の家に生まれた林は、幕府の留学生として渡英。帰国後は榎本武揚に従って箱館戦争を戦うが、敗戦によって禁錮刑に処せられる。1870年に処分が解かれると、翌年には維新政府の地方官僚となった。
  1895年に男爵を授爵した林は、政府内で順調に出世を続け、1900年に英国公使の任に就く。1902年の日英同盟調印に彼が果たした役割は大きいとされる。そんな彼がフリーメイソンの一員になったのは、翌1903年のことであった。

●ロッジ内でも政府内でも異例の出世
  林は1903年2月、ロンドンの「エンパイヤー・ロッジNO.2108」に入会すると、同年3月に第2階級に、5月に第3階級に昇級し、翌年早々にロツジの総責任者であるマスターに就任した。これは同盟国のエリート外交官である林の立場を、他の会員たちが重んじた結果かもしれないが、いずれにしても林は初代英国大使にまで登りつめる。そして翌年の帰国後は第1次西園寺公望内閣の外務大臣に任ぜられた。在任中の1907年には伯爵に昇叙。幕臣出身者としては目をみはる出世物語である。

  ちなみにのちに林の孫・忠雄が、三菱財閥の4代目総帥・岩崎小弥太の養嗣子(旧民法で家督相続人となる養子)となった。ここにもまた、メイソンと岩崎家(三菱)とのつながりが見られるのは興味深いことである。

●メイソンの教義「友愛」を掲げた内閣総理大臣
  1954年から56年にかけて内閣総理大臣を務めた鳩山一郎は、戦後日本における代表的なフリーメイソンである。
  1912年、東京市会議員に当選したことから政治への道を歩むようになり、その3年後には早くも衆議院議員に就任。当時の政治スタンスはどちらかというとリベラルなものだったとされているが、政治紛争や賄賂問題、第二次世界大戦後のGHQによる公職追放などで政治の表舞台から姿を消すこともあった。しかしその後、吉田茂内閣のあとを継ぐ形で、1954年から鳩山内閣をスタートさせ、1955年には自民党を結党したのである。

●首相就任と合わせてメイソン加入
  フリーメイソンに加入したのは1955年3月で、第2次鳩山内閣の発足とほぼ同時期であった。当時の日本のメイソンの多くは、同じくメイソンだったマッカーサーの手引きによるものだったから、鳩山もまた彼の紹介を受けたものと考えられる。加入の儀式は東京テンプルと呼ばれる建物で行なわれ、日本メイソンのすべてのメンバーが同席したという。
 
 メイソンの教義を受けた鳩山は「今後はフリーメイソンの教義に従ってすべての活動を行なう」と述べるほどの感激ぶりだった。同時にソ連共産主義に対するアメリカとの共闘も約束したが、それが守られたかは疑わしい。 1956年にソ連との国交を回復させ、日ソ共同宣言を結んだからだ。しかし、メイソンの教義は孫である鳩山由起夫・邦夫兄弟に受け継がれ、特に鳩山由起夫は「友愛」の言葉を好んで口にするなど、祖父・一郎の影響を色濃く受けている。

●秘密結社としてマークされた長い冬の時代
  フリーメイソンは生前、自分が会員であることを非公開とし、死後になってその事実が明らかになることが多い。とはいえ、さまざまな理由から、死後もメンバーであることが秘匿され続けている者もいる。

  そうはいっても、第2次世界大戦以前は、日本人のメイソンメンバーはほとんどいなかったといえるだろう。 1887年に保安条例、1900年に治安警察法が制定されたことにより、集会・結社の自由が制限されたのである。
  メイソンはこうした情勢をふまえ、日本人への働きかけを自粛。結果、生前にメイソンに関わった日本人は、海外ロッジの入会者に限られていたのである。

●戦後は日本の指導者層にも浸透
  1941年の対米宣戦布告以降、ロッジはすべて閉鎖に追い込まれ、メイソン冬の時代はピークを迎えた。その状況が好転するのは戦後になってからのこと。敗戦の翌1946年からロッジの再建がはじまり、5年後の1950年には、政治家の佐藤尚武や三島通陽、「日本のビール王」と呼ばれた高橋龍太郎らが、公式に伝えられる初の日本人会員となった。また、鳩山一郎、東久邇宮稔彦、幣原喜重郎、吉田茂といった総理大臣経験者もメイソンだったといわれている。

  諸説があるが、これらの顔ぶれを中心に確実なものからウワサレペルまで含め、日本人メイソンとしてこれまでに10余名の名が挙がっている。ちなみに、自身もメイソンの会員だったGHQ最高司令官マッカーサーは、昭和天皇の入会にも期待を寄せていたというがこれは実現しなかった。



posted by コスモ at 11:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロスチャイルドの歴史。



世界の金融、石油、情報機関、原子力、軍事、政治、食品、メディアを支配するといわれるロスチャイルド一族。

次々と有力な実業家、政治家、貴族、他の銀行家や財閥たちと閨閥(妻の親類を中心に結ばれている勢力)をつくりながら、世界の産業界に君臨していきます。

ロスチャイルドの歴史ロスチャイルド家発祥の地は、ドイツのフランクフルト。
ゲットーと呼ばれるユダヤ人の居住地区からこの一族の歴史は始まりました。

当時、市民権すらもあたえられていなかったこの一族は、細々と両替商をしながら生活していました。

しかし、一族の初代マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、古銭集めという共通の趣味から、ドイツの名門貴族ヘッセン家のヴィルヘルム9世と知り合い、やがて一緒にビジネスを始めるようになります。

時は18世紀後半の戦乱の時代。
この時、高利貸しと呼ばれる金融業に身を投じたマイヤーは、戦乱のヨーロッパ大陸を死の商人として駆け回り、莫大な自己資金を得ることに成功します。
その後、マイヤーの5人の息子たちがヨーロッパ諸国へと散っていきます。


•1764年・・・初代マイヤー・アムシェルがドイツ・ロスチャイルド商会創設
•1804年・・・三男ネイサンがイギリス・ロスチャイルド商会創設
•1817年・・・五男ジェームズがフランス・ロスチャイルド商会創設
•1820年・・・次男サロモンがオーストリア・ロスチャイルド商会創設
•1821年・・・四男カールがイタリア・ロスチャイルド商会創設

パリのジェームズとウィーンのサロモンが協力してヨーロッパ全体をカバーする通信と馬車輸送のネットワークを作り上げ、そこから誰よりも早く得られる情報を利用してロンドンのネイサンが金や通貨の投機をして大儲けするという兄弟ならではの連携プレーをし、今日の国際金融ビジネスの原型を作り上げました。

この頃は、ちょうどナポレオンの全盛期の頃にあたり、全ての国の国王や実力者が、いつなんどき引っくり返るかわからない時代において、5人兄弟の5カ国連合商会はリスクヘッジとしての性格も帯びていました。

イギリスへと渡ったネイサン・ロスチャイルドは、1810年にロンドン証券取引所の支配者フランシス・ベアリングが亡くなると、新しい支配者となり、世界一の金融王としてイギリスがヨーロッパ同盟諸国に提供した4200万ポンドの資金の半分を調達するまでになりました。

そして1815年、ネイサンは世紀の大もうけに成功します。

皇帝ナポレオン率いるフランス軍と、イギリス=オランダ=プロイセン連合軍が戦った“ワーテルローの戦い”が起こりました。

この戦争は、仮にイギリスがフランスに負ければ、大陸のパワーバランスが崩れ、イギリスの大陸における利権が一気に失われかねないということで、非常に大きな意味を持っていました。

この時、イギリスは国債を発行することによって対ナポレオン戦争の軍資金を調達していました。

イギリスが負けることになれば、当然、イギリスの国債は大暴落してしまいます。

投資家たちは、皆、戦争の行方を固唾を呑んで見守っていました。

そして、戦争終結から数日後、イギリスの国債は大暴落しました。
その理由となったのは、ネイサン・ロスチャイルドでした。

その日の朝、ロンドン取引所の持ち場にいたネイサンは、青ざめ、疲れきった顔をして、急に国債を売り始めたといわれています。

ネイサンは、イギリスに対して莫大な投資を行っており、また独自の情報ネットワークと情報を素早く手に入れるための手段(個人の快速船など)を有していることが知られていました。

そのため、ロンドンの市場関係者たちは、「ロスチャイルドが債権を売っているということはイギリスが負けたのだ」と考え、われ先にと債権を売り始め、最終的に国債は大暴落したのです。

しかしながら、実際はナポレオンがイギリスに敗北。
当然、戦勝国であるイギリスの国債は、大暴落した次の日には、イギリス勝利の情報とともに暴騰しました。

しかし、その時はネイサンがイギリス国債を大量に買い漁った後だったのです。

誰よりも早く、そして密かにイギリス勝利の確かな情報を手に入れていたネイサンは、イギリス国債を売りまくり、イギリス敗北を偽装するかたわら、秘密の代理店を使って、紙屑同然の値段となった国債を買いまくっていたのでした。

この出来事により、多くの投資家と、ほぼ全ての名門の家系が破産し、対してネイサンは約100万ポンドの利益を得たといわれています。

これは、当時のお金の価値では天文学的な数字で、この日の儲けで彼の財産は2500倍まで膨れ上がったともいわれています。

このことはのちに「連合国はワーテルローの戦いに勝ったが、実際に勝ったのはロスチャイルドだった」という諺となって残っているそうです。

ヘッジ・ファンドの元祖敗戦国フランスがイギリス同盟国に支払う賠償金の総額は7億フランに達しました。

この支払いを公債として引き受けたのがフランス・ロスチャイルド商会のジェームズ・ロスチャイルドです。

彼は、この公債を売却して得たお金をヘッジ・ファンドと同様に投機家の貸付けに流用しながら、年間50%の利息を稼いだといわれています。

1820年代に入ると、ほとんどの大国の大蔵大臣がロスチャイルド5人兄弟に買収され、公債を発行して国の借金をつくっては、その2倍近い金額をロスチャイルド商会に支払うという取引がおこなわれました。

相争うイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアの5カ国の対立構造の隙間を巧みに泳ぎ回り、プラスとマイナスの両者に投資して、必ずトータルでプラスにするという今日のヘッジ・ファンドの手法で、利益を一手に独占したのです。


【参考】
•『赤い盾』
•『ロスチャイルドの密謀』

つづく。

posted by コスモ at 00:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月26日

金嬉老事件。



金嬉老事件の金嬉老氏が亡くなったそうです。

金嬉老事件が起きた時私はまだ小学生で「朝鮮人て言うのはずいぶんおっかないことするんだなぁ」と思い、自分の周りに朝鮮人がいるのではないかと母に尋ねて確認をことがあるくらい、「朝鮮人」のイメージを決定的に悪くした事件でした。

しかし成人してから、ときどきTVなどでこの事件について語られる時、はたして本当にそうだったのか?と思うようになりました。

インターネットが普及して今まで疑問に思っていたたくさんのことが解り始め、世の中良いように操られているなと考えるようになりました。
メディアにだ増されてはいけません。

いまだに多くのメディアは自民よりです。
電通が仕切っているので仕方ありません。
参議院で自民がぼろくそに負ければ完全に潮目が変わるでしょう。

以下は「事件簿」より。

【事件概要】

 1968年2月20日夜、静岡県清水市のクラブで、金嬉老(当時39歳)が、知人2人を射殺。そのまま逃亡した。
金はその足で、寸又峡温泉の旅館「ふじみや」に向かい、旅館の一家と客を人質にとり、篭城した。金が訴えたかったものとは…。


金嬉老


【1日目】

 1968年2月20日午後8時半ごろ、静岡県清水市旭町のクラブ「みんくす」の客席で、4人連れの1人の男が、他の2人に向けて、いきなりライフル銃を7、8発乱射した。男は逃げる途中、出口付近でさらに1発撃ち、店の前にとめてあったクリーム色の乗用車に乗って逃走した。

 死亡したのは清水市の暴力団稲川組静岡大岩支部の土建業S(36歳)と、焼津市の同組準構成員(新聞報道では家具販売手伝い)のO(18歳)。
 ひょっとこ、唐獅子牡丹などの刺青に彩られたSの体には6発もの銃弾が打ち込まれ、うち1発は心臓に命中しており、即死状態だった。

 同席しながら難を逃れた男性(当時22歳)の話から、逃げた男は「金岡安広」こと掛川市の金嬉老(当時39歳)ということがわかり、警察は各署に手配した。

 クラブのホステスによると、金はよく仲間と連れ立って店に遊びに来ていた。
 この日の午後7時すぎ、まず金を除く3人が、ステージから最も離れたロイヤルボックスに入った。
 8時頃に金はやって来たのだが、「金を返せ」「待ってくれ」のやりとりがあったあと、金は「電話をかけてくる」と言って席をはずし、30分後に戻ってきた。そのとき、ライフル銃を持っており、フロントが注意すると、冗談のように「邪魔すると撃つぞ」と言って、席に戻り、2人めがけて発射した。

 金が逃走に使った車両は、プリンススカイライン1500とわかった。ただ緊急手配の第一報では「いすゞのペレット」とされ、静岡市内で「ペレットが検問」という事件と無関係の情報が入るなど、検問情報が入り乱れた。

 午後11時半、清水市新川の商事会社社長から、「金が立ち寄った」という有力情報が入る。これが金の足取りをつかむ最初の情報だった。

 約1時間後の21日午前0時20分頃、清水署に金から電話が入った。金は同署刑事一課のN巡査部長を名指しで呼び出し、「手形のもつれからやってしまった。あなたにしか会いたくない」と話した。
 N巡査部長はなんとか電話を引き伸ばし、逆探知に成功。居場所が榛原郡中川根町(現・川根本町)付近であることをつきとめた。
 同署はN巡査部長を中心に、30人の武装警官と県警本部特別機動隊のパトカーを出動させ、島田署からも警官10人を、大井川沿いに中川根町方面に出動させた。さらに電話で金本人の口から、本川根町の「ふじみ屋旅館」にいると伝えてきた。


【金嬉老】

 1928年、朝鮮生まれ。戦中に静岡県清水市にいた後、掛川市に移った。日本名は近藤安広、また金岡、清水とも名乗った。本名は権嬉老。計7つの名前があった。
 父親は丹那トンネル工事にも従事した人夫頭だったが、1931年(昭和6年)に港の荷役作業中に事故死、母と再婚した飯場小頭の男と一緒になる。生活は苦しく、金は小学校を5年で中退して丁稚奉公に出る。

 43年に窃盗で捕まり、朝鮮人少年だけの少年院で敗戦を迎えた。その時、悔しがって泣いた。「泣いて放送している天皇がかわいそうでなりませんでした」と手記で述べている。この頃、特攻隊の制服で、白い絹のマフラーを巻いて歩き回っていたという。

 戦後は窃盗、詐欺、強盗などで刑務所を出たり入ったりし、20年間で15年以上は服役期間だった。事件までに前科7犯。
 獄中で勉強し、自動車整備士免許をとったが、出所すると敬遠され、就職はうまくいかなかった。

 48年ごろ、服役中に恋人が警察官と結婚していることを知り、失意の自殺を図る。
 
 掛川で飲み屋を経営。店は妻に任せてぶらぶらすることが多かった。
 精神病患者だった実父は事件前年の6月に自殺、金自身もこの年の末に離婚した。妻は日本人であり、朝鮮人であることを知られたことがその理由とされたが、女性問題のことなどもあったようだ。

 事件前、金は手形を担保にして知人から18万円を借金した。この借金は中古車で弁償したが、手形は金の元には戻らず、ある暴力団幹部の手に渡った。これは射殺されたSのことである。これ以後、金はSから脅され続けた。
 まずSたちは手形をたてに、金から35万円を取り立てようと図る。金は九州〜青森を逃げ回ったが、横浜にいるところをS一派に発見される。
 そこで金はSに「返済」を約束し、8月20日に「みんくす」でおちあうことにした。

 事件当日、まずSと他2人が「みんくす」に到着、続いて金も訪れた。金はここでSに「朝公がちょうたれたことをこくな」と罵られ、そのSと子分Oの2人をライフル銃で撃ったのである。


【2日目】

 金は大井川の上流、南アルプス南端の寸又峡温泉にある「ふじみや旅館」(榛原郡本川根町 現・川根本町)に押しかけ、旅館の家族と宿泊客計16人を人質にとり、たてこもった。

 当時、寸又峡温泉には15軒の旅館が散在していた。そのなかで金が「たまたま目についたのが、ふじみ屋旅館だった」(供述)という。
 この旅館には経営者(当時34歳)の一家6人と、発電所工事などで愛知や横浜から出張していた客10人がいた。

「私は今、清水でもって暴力団と問題があってそれを殺してきた。それで来る途中(ラジオニュースで)いま1人の人間が病院で息をひきとったということも聞いた。これからどうしても警察相手にしたいことがあるから、あなた方には危害は絶対加えないから、協力してもらいたい」
 金はこう言って客たちを叩き起こしたあと、全員を集合させて続ける。
「準備を終わってからみなさんの前へ土下座をして、私がなぜ関係もないみなさんに対してこんなことをしなきゃならないのか、申し訳ないと思う。申し訳ないではすまないと思う。したがってその責任は、私は結果的には自ら死をもって謝罪します。私は子どもの時から、朝鮮人だ、朝鮮人だ、といって日本の人たちからずいぶん惨めな思いをさせられ、自分の感じやすい気持ちを傷つけられ、自分の母や兄弟、ありは自分の同胞たちのいろんな面を見てきております。だからそういう面について、それが要するにこういう事件に大きな動機としてつながっているんだ、ということをその人たち全部に言っております」

 出動した警官は旅館街へのルートを閉鎖し、遠巻きにして警戒したが、金はスコープ付ライフル銃、実弾1200発、それからダイナマイト13本を持っていたため、うかつに近寄れなかった。近隣の住民にも避難警告を出した。

 このあいだ、金は新聞社に電話をしたり、金は「木島則夫モーニングショー」(NET系)に電話出演していた。(6分間の生放送)
「私が死ぬのは時間の問題だ。世間を騒がせたことに対し自分で死刑を執行することだ。今度の事件の裏には。子どものころからの心の中にひっかかっていた朝鮮人という差別の問題がある。ごく最近のことだが、ある刑事から朝鮮人じゃないかとけなすような言葉を直接いわれ、心が煮えくり返った。このことをマスコミを通じて釈明してもらわないうちは死なない。罪のない旅館の人たちに迷惑をかけたことは申し訳ない。この責任は死んで償う。私の起こしたことをみて、若い世代の人が悪の道に染まって、ひきずられないようにしてほしい」(電話質問の回答)

 早朝、N巡査部長ら2人が、金と面会。金は「小泉巡査の朝鮮人差別発言を謝罪しろ」「静岡新聞とNHKの記者に会見させろ」という2つの要求を出す。
 この要求により、NHK・村上記者と静岡新聞・大石記者が金と会見。「警察はS一派の悪を公表しろ」「小泉巡査は差別発言を謝罪しろ」という2つの要求を示した。金は2人の記者に「遺書」と称した日記帳を手渡した。




遺書

「清水署の小泉!お前が昨年秋にいった『てめい等、朝鮮人が日本え来てろくな事をしない』とか大きく恥しめ言葉をはいて俺がお前に電話をしたのを覚えているか。返礼する時が遂にやって来たようだ。俺は自分の言葉に代えてお前の取った態度に答えてやろう」

「13歳位からどれだけ清水署にいたみつけられて来た事か知れない。俺はあのひでい刑事等のつらを想うと血がにえたぎってくる。今は家も妻も総て失い敢えてそうなった俺は死があるのみだ」

「夕暮れに小鳥さえずる声聞けば我れ帰りたや母待つ家に」

「ふまえて枯るる我が身には明日の墓標も立つ事なし」

                         (本人自筆)






 正午ごろ、人質のうち2人が隙を見て脱出。
 午後0時40分とその5分後、金は2度にわたりダイナマイトを1本ずつ爆発させた。さらに空に向けて10発を乱射したり、畳をかさねて防御壁を作ったりしていた。

 一方、警察側も説得工作に報道を利用した。
 午後3時、ニュースで清水署長が訴えかける。
「金さん、あなたの言い分もあるでしょう。警察も悪い点があったと思います。しかし、今はこれ以上みなさんに迷惑をかけないことが第一です。早く自首してください」

 午後5時ごろ、警察庁の要請で、愛知県警の装甲車が出動。


【3日目】

 22日未明、金は暗闇の中、少しでも動くものがあればライフルを浴びせた。

 5時半頃、旅館主から警察に電話が入る。それによると、階下10畳の間にいた妻子4人を2階6畳間に移し、金もその部屋にいて、火鉢のすぐそばにダイナマイトの束を置き、ライフルも常に手にしたまま。「警察さえ向かってこなければ、人質には迷惑はかけない」と言っているが、旅館の玄関にはダイナマイトを接続した電気コードを置いていて、傍のソケットに差し込めば、すぐに爆発できるようにしている。また部屋の壁には「罪のない家族に迷惑をかけて申訳ない。死んで罪を償う」「お母さん、不幸を許してください」と墨で書いた。
 
 朝7時、高松静岡県警本部長が、テレビで自首を呼びかける。
「昨年7月、清水署の事件の取り扱いについて、君には不満な点があると聞いているが、われわれにも直すべき点があると思う。この事が原因で罪のない子ども、関係のない人を傷つけることは、君にとっても、世の中にとっても、一番まずいことだ。男らしく出てきて、君の不満をぶちまけてはどうだろうか。われわれにもそれを聞く用意が十分ある。それが君のため、世の中のために、一番良い方法だと、よく考えて欲しい」

 金を「朝鮮野郎」と軽蔑した清水署の小泉刑事も謝罪放送したが、金は納得しなかった。小泉刑事の謝罪放送は10時にも録画再放送された。

 8時20分、金は朝のNHKのニュースで、自身の日記が公表されたことに気をよくし、人質のうち旅館主人の妻英子さんと子どもの4人を解放。だが英子さんは「旅館のお客さんに悪い」と言って、自分で旅館に戻って行った。それ以後も客の食事の世話をするために、母屋と宿を往復した。解放された小学1年の長男(当時6つ)は「そんなにこわくなかった」と語った。

 山越えしてきた十数人の記者団が寸又峡温泉に駆けつけてきはじめた朝、金は記者団を招き、「小泉刑事が謝れば人質を返す」という。カメラマンには「こっちから良い写真がとれる」と得意顔で指示した。ある新聞記者には「この世でもっとも価値があるものは母性愛だと思う」という手記を手渡した。
 これ以後、こうした共同記者会見はたびたび行われるようになる。金は注射をして目を覚ましながら会見をした。ちなみに記者団のなかには、当時朝日新聞記者で、後に首相となる細川護煕氏もいた。

 記者たちの多くは「自首しないんですか」と、警察と同じようなことを聞いたが、この事件は全国的にも反響が高く、説得志願を申し出た人が全国に100人以上いたという。「自殺するな」「ともに闘おう」「金さん、もっと頑張って」という人も相当いた。
 アラビアからは、石油輸送の東燃タンカー所属の初島丸からも清水署気付で「金さんは日本人の1人だと思っています」とう電報が届いた。

 午後3時、金は小林前掛川署長との話し合いで、
1:射殺された2人の罪状を公表せよ。
2:小泉刑事のテレビでの謝罪は不十分。
 という人質解放の条件を出し、23日正午までの期限をつけた。
「生きるのにはもう嫌気がさしている。この2つの要求さえ聞いてくれれば、死をもって、騒動を起こした責任をとる」

 午後5時過ぎ、人質3人を解放。さらに旅館の主人を「翌朝7時までに戻る」との条件で妻の元に帰した。

 夕方、旅館に到着した同胞3人と、朝鮮料理を楽しむ。
 夜には東京から山根二郎弁護士、作家・金達寿ら5人が「金さんへ」という文化人からの録音テープを持って訪れた。
「私たちは今回のあなたの行動を通じて日本人の民族的偏見にかかわる痛烈な告発を知りました。もしあなたが生きる道を選ばれた場合には、法廷闘争をはじめあらゆる運動を通じて、あなたの行為を無駄にしないよう努力するつもりです。あなたに生き続けて訴えて欲しいと思います」

 金はこの日、ライフルを約40発撃ち、警官とのにらみあいを続けた。


【4日目】

 2月23日。
 金は報道陣を手招きして、記者会見を開く。
 前警察署長を名指しで呼び、横になって話し込んだりもした。  コタツに入っている人質の中に加わり、雑談もした。ライフルを傍に置いて、入浴すらしていた。

 4日目ということで、ずいぶん油断しているようにも見えたが、金はほとんど眠っていなかった。警察側も人質を救出するメドがたたず、ダイナマイトの脅威もあるため、動きはなかった。

 金は「ライフルを撃ってくれ」という記者の要望にも愛想良く応え、空に向かって数発乱射して見せた。


【5日目】

 24日午後3時過ぎ、金は旅館の玄関前で、ポケットに両手をつっこみ、顔だけだして「記者の皆さん、今から1人出すので道を明けてください」と記者団に呼びかけ、後ろをふりむいて「さあこっちへいらっしゃい」と人質の1人柴田さんを手招きして呼んだ。
 記者団の方へ解放された柴田さんの後姿を見送って、再び部屋に戻ろうと階段の上がり口に向かったその時、記者団の中から「それっ」というひと声がして、9人の男が金にとびかかった。記者に紛れ込んでいた捜査本部の刑事である。さらに傍にいた数十人の記者も折り重なるように飛びかかり、手足をおさえつけた。金はその時、異様な悲鳴をあげた。そして自分の舌を噛み、自殺を図ったが、刑事の1人が口をこじあけ、警察手帳をねじこんだ。このことについては「軽傷」と報じられたが、実際は体内の20%の血液を失う重傷であった。マスコミを信頼し、有効に利用してきた金の、意外な逮捕劇だった。
 この日の夜、掛川駅前に屋台を出していた金の母親(当時60歳)は、一升瓶を飲んで酔いつぶれていた。

 解決を受けて、佐藤栄作首相は「うん、よくやった」と一言。
 竹山静岡県知事は、29日に取り押さえた警官9人を知事室に呼び、県無形文化財の金剛石目塗りの花瓶を贈って表彰した。この9人は22日に、「記者に見える、35歳までで、柔剣道の達人」ばかりが選ばれた。

 また直前に釈放された柴田さんも次のように語っている。
「あのぐらい、力のある、頭のいい人はそういない。金さん流に言えば、もし朝鮮人でなかったら、もっと日の当たる場所に出ていられただろう。もちろん、こんな事件も起こさなかったろうにと思った。しかし、金さんの場合、ああいう事件を通してしか、訴える場所がなかったともいえる」
 

 金が篭城していた間、人質の行動は比較的自由だったという。報道陣も、人質らとともに泊まり込んだりした。人質が金に同情したりもした。解放されたにもかかわらず、旅館に居続け、連絡、運転役まで引き受けはじめた。
 これがこの事件の特異なところで、人質をとったたてこもり事件というより、”奇妙な同居生活”と言ってしまっても差し支えないほどである。
 金は逮捕の前、訪問者が差し入れてくれた現金や腕時計を、旅館の主人に迷惑料として渡したりした。

 それから事件の舞台となった鄙びた温泉地も、全国的に知られるようになった。「ふじみや旅館」も現存する。
(週刊誌には「篭城鍋、金嬉老煎餅などといった料理を出すことも考えている」と書かれていたが、HPを見る限り、事件当時のことに関する記述はない)


【裁判】

 1968年3月、静岡地検は金を殺人罪で起訴。さらに監禁等7つの罪名で追起訴した。

 同年6月25日、静岡地裁で初公判。主任弁護人は山根二郎氏。裁判の争点は、金の在日朝鮮人としての生い立ちがどれほどの影響を与えたか、という部分になった。

 1969年2月26日、検察官の冒頭陳述。
「自己が朝鮮人であることと本件殺人を関連させ、又清水警察署の暴力犯刑事(中略)から朝鮮人を罵倒されたとしてこのことを世間に訴えることを考え付き――」と断じた。

 同年5月21日、弁護団は次のような冒頭陳述を行う。
「日本政府は講和条約発動と同時に、在日朝鮮人に日本国籍を離脱させ、『出入国管理令』『外国人登録法』と在日朝鮮人の在留措置を決めた法律126号2条6項は『(在日朝鮮人の)在留資格および在留期間が決定されるまでの間、ひきつづき在留資格を有することなく、本邦に在留することができる』とされた。つまり、金嬉老はじめ在日朝鮮人の大多数は、今日も法的保障なしに、単に事実として在留しているきわめて不安定な存在なのである」

 1970年4月、脱獄にも使える出刃包丁、ヤスリ、ライターなどを何者かが差し入れていたことが発覚する。彼の独房は施錠されておらず、散歩・面会なども自由に出来るのど、所内での特別待遇も明るみに出た。独房内には、機嫌をとるために看守が渡したわいせつ写真すらあった。これは金が自殺をほのめかしたりして、規則違反がエスカレートしたものだった。
 この問題で、衆議院法務委員会でも責任追求が行われ。法務省矯正局長以下13名、また専従職員13名が停職・減給・戒告・訓告などの処分を受けた。そして包丁を差し入れたとされる看守が殺虫剤を飲み自殺している。

 72年2月16日、静岡地裁で、「殺意を持った計画的犯行で、その冷酷無残さは同情の余地がない。またダイナマイトなどを持って13人を監禁し、地元住民まで恐怖におとしいれ、社会的に大きな不安を与えた罪は絶対に許せない」として死刑が求刑された。

 同年6月、静岡地裁は無期懲役の判決を下す。

 1974年6月、東京高裁、控訴棄却。

 1975年11月4日、最高裁、上告棄却。無期懲役が確定。

 1999年9月7日、韓国渡航を条件に仮出所。


 2000年9月3日、韓国・釜山市で、金が不倫相手宅に手製の竹槍を持って押しかけ、この家の夫(当時46歳)と50分間も乱闘し、殺人未遂容疑で逮捕された。金は当時71歳。00年10月に予定されていたミュージカル「朝鮮人・権禧老」も公演中止となった。この一件で「英雄」の名も地に落ちることとなった。
 その後、2度目の獄中結婚。2003年の出所後は、釜山郊外で陶芸に打ち込む毎日だという。


リンク

寸又峡温泉「ふじみや」 
http://www12.ocn.ne.jp/~fujimiya/index.html


≪参考文献≫

葦書房 「事件1999-2000」 佐木隆三 永守良孝
学習研究社 「歴史群像シリーズ81 戦後事件史 あの時何が起きたのか」
河出書房新社 「現代日本殺人史」 福田洋・著、石川保昌・編
河出書房新社 「常識として知っておきたい昭和の重大事件」 歴史の謎を探る会・編
警察文化協会 「戦後事件史 警察時事年間特集号」
現代評論社 「現代の眼 78年8月特大号 全特集・戦後犯罪史−怨恨と欲望の社会病理」
現代評論社 「あらゆる犯罪は革命的である」 平岡正明 
講談社 「昭和 二万日の全記録 第14巻 揺れる昭和元禄」
講談社 「戦後欲望史 黄金の六○年代篇」 赤塚行雄
講談社 「歴史エンタテインメント 昭和戦後史 中 経済繁栄と国際化」 古川隆久
国書刊行会 「報道は真実か」 土屋道雄
作品社 「犯罪の昭和史 3」 作品社・編
社会思想社 「20世紀にっぽん殺人事典」 福田洋 
新人物往来社 「別冊歴史読本 新・殺人百科データファイル」
神泉社 「差別論ノート」 三橋修
新潮社 「われ生きたり」 金嬉老
新潮社 「『週刊新潮』が報じたスキャンダル戦後史」 新潮社編
新潮社 「スクープ音声が伝えた戦後ニッポン」 文化放送報道部・編 
新風舎 「昭和史の闇<1960−80年代>現場検証 戦後事件ファイル22」 合田一道
創樹社 「金嬉老とオモニ ―そして今」 山本リエ 
騒人社 「戦中・戦後五十年 忘れ得ぬあの日その時」 朝日新聞東京社会部OB会
大洋図書 「日本震撼事件 戦後殺人ファイル100」 日高恒太朗
筑摩書房 「犯罪紳士録」 小沢信男 
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
批評社 「戦後ニッポン犯罪史」 礎川全次
文藝春秋 「週刊文春 05年8月11日・18日号」
毎日新聞社 「シリーズ20世紀の記憶 1968年 グラフィティ バリケードの中の青春」
読売新聞社 「あの言葉 戦後50年」 読売新聞社編

つづく。



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2010年03月25日

銀行という名の搾取制度。


現在の覇権国家アメリカの通貨“ドル”は、最強の通貨といってもよいでしょう。
1944年のブレトン・ウッズ会議で、アメリカのドルは世界の基軸通貨となりました。
基軸通貨には、信じられないほどの特権があるのです。

基軸通貨特権とはそれを説明する前にシニョリッジについて説明いたします。
シニョリッジとは、通貨発行益といわれ、通貨発行者だけが独占的に得ることができる利益のことです。

昔、お金が鋳貨(コイン)だった頃、貨幣を悪鋳すると、その浮いた分だけ実物的利益を得ることができました。

たとえば、金10g=1000円のとき、金10gを使って2000円金貨を鋳造すれば、貨幣発行者は1000円の差額を利益として得ることができます。

ローマ時代、軍事費と宮廷費を賄うため、貨幣の金含有量を減らす“悪貨鋳造”は続き、貨幣により国民の富は搾取され続けました。
中世ヨーロッパや日本の奈良時代・江戸時代にも同様のことがおこなわれています。

当時のおカネは金属で、原則的には、その金属の価値がおカネの価値でした。
ところが、これが現在のような金との兌換性のない紙幣だと、おカネをつくるのにかかる費用は印刷代と紙代だけ。
ほぼ、まるまる差益となります。

今、これを世界的に見れば、シニョリッジによる利益は、基軸通貨であるドルを発行するアメリカが得ていることになります。

アメリカは、貿易で購入した製品に対し、米ドルを刷って渡すだけで、他国から好きなものを手に入れることができます。
他国のように汗水流し、苦労して輸出先を開拓し、商品やサービスを販売して稼ぐ必要はありません。

貿易相手国は、基軸通貨のドルなら、アメリカ以外の他の国からも米ドルで商品を買えるという点に“ドルの価値”を認めています。

特に現代文明の源である“石油”を購入できるというのが、もっとも大きな信用となっています。

勿論、その他にも、圧倒的な軍事力や国際政治力もこれを支えていますが、結局、ドルの価値は米国以外の国々が米国を信用することによって成り立っています。

では、このドルとは、いったいどんなお金なのでしょう?

以前「FRBの正体」でもお話しいたしましたが、ドルを発行しているのは、アメリカの中央銀行である米国連邦準備制度理事会(FRB)です。

連邦準備制度理事会の理事は合衆国大統領によって任命されますが、理事会の実際の業務の管理は、理事と協議しつつ連邦諮問評議会が行います。

連邦諮問評議会は、1914年に開かれた連邦準備制の組織委員会で選定された12の特権的都市の“金融地区”連邦準備銀行の役員によって選出されますが、連邦準備法に基づき一般には公表されていません。

全米12の地区連邦準備銀行は、金利を設定し、公開市場操作を指揮することによって米国通貨の日々の供給と価格をコントロールすることができます。
この12ある地区連邦準備銀行の中で、最大の銀行が“ニューヨーク連邦準備銀行”です。

アメリカの金融政策である金利や通貨の数量と価値、および債権の販売は、実質的にはニューヨーク連邦準備銀行が決定しています。

1914年当初、ニューヨーク連邦準備銀行は20万3053株を発行し、ナショナル・シティ・バンクが最大の株数3万株を取得。
ファースト・ナショナル・バンクが1万5000株を取得。
チェース・ナショナル・バンクが6000株、マリーン・ナショナル・バンク・オブ・バッファローが6000株、ナショナル・バンク・オブ・コマースが2万1000株をそれぞれ取得しています。

さて、ニューヨーク連邦準備銀行の株を所有するこれらの銀行の株主はというと・・・

•ロスチャイルド銀行・ロンドン
•ロスチャイルド銀行・ベルリン
•ラザール・フレール・パリ
•イスラエル・モーゼス・シフ銀行・イタリア
•ウォーバーグ銀行・アムステルダム
•ウォーバーグ銀行・ハンブルク
•リーマン・ブラザーズ・ニューヨーク
•クーン・ローブ銀行・ニューヨーク
•ゴールドマン・サックス・ニューヨーク
•チェース・マンハッタン銀行・ニューヨーク
となっています。

つまり、ニューヨーク連邦準備銀行は、欧米の銀行が株の100%を保有していて、米国政府は1株も保有していません。

上記の中でチェース・マンハッタン銀行が米国のロックフェラー系ですが、他はすべてがロスチャイルド系の金融機関です。

要するに、実質的にロスチャイルド一族が米国の中央銀行を支配しているということになります。

ちなみに、現在のニューヨーク連邦準備銀行は、J・P・モルガン・チェースとシティ・バンクの二行だけで53%近くの株を所有しています。

つまり、ロスチャイルド・モルガン・ロックフェラーという世界最強の財閥連合が相も変わらずFRBを支配しているということになります。

無から創造されるおカネ日本語で紙幣と手形は違う言葉で表現されますが、英語では紙幣も手形「notes」「bill」「draft」です。

つまり、ドルというお金の正体は、米国政府が発行する国債を担保に、ニューヨーク連邦準備銀行が政府に貸し付けた手形=債権証書なのです。

たとえば、米国政府が1億ドル必要だとしましょうか。
そうすると連邦準備銀行は、米国財務省から1億ドル分の国債を購入し、政府の口座に1億ドルを振り込みます。

この政府に振り込まれた1億ドルは、誰かの口座から借りてきて振り込んだおカネではありません。

連邦準備銀行が何か実物的な資産を提供しているわけでもありません。ただ、米国政府の口座に1億ドルと記入するだけです。
連邦準備銀行は口座に数字を記入するという行為だけで“無”から1億ドルを創造するのです。

そして、政府は1億ドルを受け取り、公共事業等の出費として米国社会に1億ドルが流れていきます。

さて、政府は時が来たら返済時に利子をつけて返さなければなりません。
仮に利子をつけて1億500万ドルを返済するとしましょう。

米国政府は国民から税金を集め、1億500万ドルを返済しなければなりません。
しかし、世の中に出回っているおカネは1億ドル。
500万ドル足りません。
政府が1億500万ドル返済するには、新しく国債を発行し、世の中に流し、回収するしかありません。

ここに、政府の借金が規則的なリズムで大きくなっていく理由があります。

銀行は“無”からおカネを生み出し、国民はそれに対して利息を支払う義務を負う。

また、政府は財政赤字を積み上げていく。
そして、このマジックのようなおカネを使って世界中からアメリカに実質的な富が流れ込んでいく。

その利益が最終的にはロスチャイルド一族をはじめとする国際金融資本家の懐に収まる、という仕組みになっています。
つまり、銀行とは合法的な搾取システムにほかならないのです。

「現代の銀行制度は、貨幣を“無”から作り出す。その手口は、恐らく、これまで発明された詐術の中で、もっとも驚くべきしろものである。銀行は、不正によってつくられ、罪のうちに生まれた。銀行家は地球を所有する」
ジョシア・スタンプ卿 イングランド銀行総裁(1928〜1941)

【参考】
•『世界最強の通貨「ドル」の力』
•『外国資本が所有する米国中央銀行FRB』
•『"無"から創造されるお金』

posted by コスモ at 23:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本に生れてよかった。


北朝鮮ではハリウッド映画「2012」を見ただけで、懲役5年以上の刑罰が課せられるらしい。

人は誰でもカルマを背負って生まれてくる。
どこの国に生まれるという事もまた、カルマなのだ。

私たち日本人は少なくとも有色人種国家において唯一無二の先進国であることはいまさら言う必要もないが、今更言いたい。

われわれは日本人は、やはり他の国民と比較した場合、まだまだ幸せだあると思う。

国民の多くがPCをもち、インターネット人口も8000万人と言われている。

食料自給率が40%に満たない食料の輸入大国でありながら、毎年廃棄される食料があれば、極貧国の1年分の食料が満たされると言われている。
全く罰当たりなことであると思う。


☆参考情報
映画「2012」にピリピリ? 見た住民を北朝鮮逮捕
2010年3月25日3時4分
 【瀋陽=西村大輔】北朝鮮関係筋によると、同国内で米映画「2012」をDVDで見た住民が逮捕されている。同作品は2012年に巨大な災害が起きて人類が滅亡の危機に直面する内容だが、北朝鮮にとって2012年は故・金日成(キム・イルソン)国家主席の生誕100で、「強盛大国の大門を開く」とする重要な年。その年に「人類滅亡」とは許し難い内容というわけだ。

同作品は、「インデペンデンス・デイ」や米国版「ゴジラ」などを手がけ、災害やパニックの描写で定評のあるローランド・エメリッヒ氏が監督し、昨年公開された。

2012年に地球規模の地殻変動が起き、巨大地震、大津波、大噴火などが立て続けに起きる中で繰り広げられる人間模様を描く。

北朝鮮にも中国から海賊版DVDが流入しているとみられる。

関係筋によると、北朝鮮の都市部に住む男性が2月、中国から送ってもらったDVDを観賞したところ、知人が当局に密告し、逮捕された。

当局は「こんな映画を見ることは、国家の発展に対する重大な挑発」と説明したとされ、懲役5年以上の罪に問われる可能性があるという。
関係筋は、同様の摘発は各地で何件も起きていると指摘する。

北朝鮮は09年に国民に過酷な労働を強いる生産向上運動「150日戦闘」「100日戦闘」や、デノミをはじめ大規模な貨幣改革を行った。

いずれも強盛大国となる2012年に関連した動きとみられるが、成果は見えず、逆に社会の混乱を招いている。

「2012」に絡む摘発は、「強盛大国」につながる経済の立て直しが思うようにいかない金正日(キム・ジョンイル)体制の焦りをうかがわせる。

つづく。

posted by コスモ at 14:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お金とユダヤ教徒。



国際的な金融システムをつくりあげたのはユダヤ人でした。
昔のヨーロッパのキリスト教社会では、ユダヤ教徒は“キリストを十字架にかけて殺した罪人”として迫害されていました。

ほとんどの職業に就くことが禁止され、土地を持つことも制限されたため、農業を行うこともできませんでした。

唯一の許された職業が、キリスト教徒から忌み嫌われた利子を取り扱う職業=高利貸し(質屋)や金塊の保管人、両替商(貿易決済業)などでした。

当時、ユダヤ教もキリスト教やイスラム教も、利子の徴収は原則として禁じられていたのです。
利子を取ることの弊害を経験的に知っていたのかも知れません。

しかし、ユダヤ教は例外として、異教徒から利子を取ることは許されていました。

金融業はユダヤ人の専売特許中世になってルネサンスや宗教改革が起こり、政治と宗教が分離され、キリスト教会から国王に司法権が移り、その後、フランス革命などを経て国民が力を持つようになりました。

教会は国民の経済活動に口が出せなくなり、利子を取ることは罪悪ではなくなりました。
ところが、それまで利子は罪悪だっただけに、金融の技術を持っていたのは、ユダヤ人だけだったのです。

中世には、弾圧を受けたユダヤ人の移住が何回も起こりました。
ユダヤ人の金融家は、この離散状態を生かし、貿易決済業にたずさわるようになり、為替技術を発達させます。

また、保険業や、事業のリスクを多人数で分散する株式や債券の考え方も生み出します。

ユダヤ人だと分かっただけで財産を没収されることもあったので、ユダヤ人にとって記名型の証券は安全ではありませんでした。
そのためユダヤ人の金融業者たちは、無記名の証券である銀行券を発行・流通させる銀行をヨーロッパ各地で運営していました。

この技術は、やがてヨーロッパ諸国が中央銀行をつくり、紙幣を発行する際に用いられます。

このように、現在の金融業は、ユダヤ人の迫害の歴史から生まれてきたともいえる技術なのです。

ユダヤ人は自らの構築した金融システムのノウハウを積極的に提供していきました。
それが、産業革命という時代の波にのり、資本主義を世界に広めていくことにつながります。

産業振興や、市場獲得のための侵略戦争など、国家の運営に必要な資金を最も上手に調達できるユダヤ人は、ヨーロッパの各国の王室にとって“なくてはならない存在”となり、国家財政や金融政策を担うようになりました。その中でも最も影響力を持った存在、それがロスチャイルド家の人々でした。



posted by コスモ at 00:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月23日

ロスチャイルドとお金。



久しぶりの更新となりました。
しばらくお休みして、自問自答を繰り返していました。
「自分はいったい何をしているんだろう?」
「私のような虫けら程度の人間がいくらわめいても叫んでも、何も変わらない。」という、虚無感が体の中に充満してしまった。

このような状態に陥った時にはたいてい大量の本を中古で買ったり、ネットサーフィンを繰り返し、読み漁ります。

大量の情報が頭の中にインプットされ、必要なものと要らないものに整理され、点が線になり次第に頭の中が澄み渡ってくる。

と、気合を入れて原点に戻り、お金の話から復活。

かつて、おカネは金・銀・銅などの金属でした。
おカネの量は、どれだけ金(銀・銅)が発見されるかにかかっていました。

そして、交換価値の尺度となる、重量や純度が一定の鋳貨(コイン)は、権威と信用のある国王(政府)が造る権利を持っていました。

貨幣発行権とは、つまり「誰にどれだけおカネを分配するか」を決める権利です。

自分がそれを決められる権利を持った時のことを想像してみてください。
どれだけ大きな権力を持つことができるか、想像できるでしょう。

人々は取引きの時に、その対価に相当する鋳貨を支払っていました。
なかでも、最も価値の高いおカネは金貨でした。

当時のお金持ちは、金貨を空き巣や強盗から守るために、立派な金庫を持つ金細工師や両替商に、そのおカネを預けていました。

金細工師は金貨と引き換えに預り証を渡し、保管のための手数料をもらっていました。

金貨を預けていたお金持ちの「金」さんは、何かを購入するときに金細工師に預り証を渡し、引き出した金貨で支払いをします。

その代金を受け取った「銀」さんも、空き巣や強盗に入られると困るので、やはり金庫を持つ金細工師に金貨を預け、預り証を受け取ります。

それならば、わざわざ「金」さんは金細工師から金貨を引き出さなくても、直接「銅」さんに預り証を渡せば、結果的には同じ事になります。

次第に人々は金貨を使って取引きするより、預り証を使って決済する方が便利で安全であることに気づき、その預り証が通貨(紙幣)の役割を持つことになります。

こうして人々が紙幣で取引きし始めると、金細工師の金庫の中にある金貨は眠ったままになります。

「もし預金者全員が一度に金貨を引き出しに来なければ、この金貨を担保に紙幣を発行してもよいのではないか」そう考えた狡賢い金細工師は、お金に困っている人に紙幣を貸出し、その貸出し料として利子を受け取るというビジネスを始めたのです。

こうして近代式の銀行業が始まりました。
この時から、おカネは銀行から融資を受けた時に創られる(=信用創造)ようになったのです。

よく考えてみれば、預かっている金貨は金細工師のおカネではありませんし、勝手にそれを元手として貸し出しているのですから、これは横領であり、詐欺的行為です。

しかし、その方法は秘密裏にされていたために批難されることはありませんでした。

ただ、ごくたまに困ったことが起きました。
何らかの理由で顧客が多額の預り証を持ち込んできて、預けていた大量の金貨の返却を求めるときです。

実際ある金貨以上の紙幣を発行しているわけですから、顧客の求めに応じられません。

そういう時には、同業者が秘密の連係プレーで協力し、金貨を融通し合いました。

銀行家たちの手から一時的に離れた金貨も、結局は廻り回って銀行家たちに帰ってくるのですから心配ありません。

このような大掛かりな詐欺的行為がバレないためにも、銀行業者の秘密性はさらに高まりました。

かくして銀行家カルテルは物質的な金に囚われることなく自らおカネを創り出し、それを誰にどれだけ分配するか決める権限を持ったのです。

このようにおカネの主流が、銀行が発券する紙幣に変わっていくと、これまでのように国家がお金をコントロールすることができなくなりました。

ヨーロッパの君主たちは、お人好しにも、銀行家は大量の金を持っているのだと信じたのです。

そして、国家がおカネを必要とし、しかし税収をもう上げられないとなると、銀行家から借りるしかないとなりました。

「借りる者は貸す人の奴隷となる」(旧約聖書)

こうして次々と“国家に対して貸付ける”ことによって、ロスチャイルド家は絶大な影響力を手に入れるようになったのです。

1815年、ロスチャイルド家はイングランド銀行を支配下に置き、英国の通貨発行権と管理権を手中に収めました。

1913年には米国に連邦準備制度(FRB)を設立し、米国の通貨発行権と管理権を手中に収めています。

21世紀初頭、ロスチャイルド家が中央銀行の所有権を持っていない国は、全世界でアフガニスタン、イラク、イラン、北朝鮮、スーダン、キューバ、リビアの七ヵ国だけでした。

その後、アフガニスタンそしてイラクに対する米国の侵攻により、現在では残り僅か五ヵ国のみになっています。

ちなみに日本銀行は50%が日本国政府のもので、39%がロスチャイルドのものと言われています。

残りの11%がその他の人となっております。

つづく。











posted by コスモ at 20:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月09日

つれづれなるままに日暮らし。


辺野古移転の利権を狙って周辺を買い占めていた政治家の記事が日刊現代に掲載されたので早速それについて記事にしようと思っておりましたら、すでにあちらこちらで記事になっており、今更私などが出る幕ない状態でした。

そこで明治維新とジョン・万次郎と竜馬、ロスチャイルドの関係について書こうと思いましたが、これもまた頭の中が整理されておらず、そこで「そうだ先日コメントを頂いたヒトラーの自殺説について書こう!」と考えましたが、これもまた、資料が足りず、ん〜〜〜と腕組みしながら考えていたら、「あれが食べたい、これが食べたい」と食べたいものばかりがあたまのなかを占領してしまい、意識が飛んでしまった。

それでつれづれなるままに日暮らしだ、資料なんていい書きたいことだけ書こうと思った。

そこでまず週刊現代の政治家のイニシャルについて、
自民党:
   1 防衛庁長官経験者     N →額賀福志郎
   2 防衛庁長官経験者     K →久間章生 
   3 防衛庁長官経験者     I →石破茂 
   4 特命大臣沖縄担当     T →高市早苗
   5 官房長官経験者       N →野中広務
   6 小泉首相の秘書官     I →飯島勲
 民主党:
   7 現役閣僚           M →中井洽
   8 現役閣僚           K→北澤俊美
 国民新党:
   9                  S→下地ミキオ

と解説されているのだが、民主党のイニシャルのMは前原、Kは管または輿石ではないかと思う。
何を思おうが私の勝手でしょ。

以前、テレビカメラの前で、「アメリカにひれ伏してでも辺野古案にしろ」と豪語した自民党の防衛大臣経験者のIもいます。
さらに民主党現役閣僚のMと言えば、国土交通大臣しかいないことになります。
何といっても前原は清和会の民主党支部だ。

話は変わってブログを読んでいただいたKAYOさんから次のような情報を頂きました。

「最近、ナショナルジオグラフィックの放送でヒトラーの歯形が、自殺した現場地下の隠れ場所から持ち出し、長年保管し研究していたチームにより、同一と確認されたとされていました。 わりと生存説を信じていたので、え?とがっかりしたのですが、側近たちも次々とその自殺した後の光景を語り始めているようなんです。 」

読んでからしばらくの間、天を仰いでいた。
ヒトラーは、ロスチャイルド男爵の孫である。
現在のイスラエル建国の父であると言っても過言ではない。
彼の存在がなくてはイスラエルは存在しえない。
彼を死なせるわけはない。
たしかアルゼンチンの山奥で1984年まで生きていたはずなのである。
きっと亡くなった後当局が彼の遺体を回収して遺骨も保管していたに違いない。
時を見てその一部を公表したに違いない。
へ理屈だと言われてもそこまでしても彼が生きていたと私は思う。
この訳のわからぬ確信感は何なのだろう?わからん。

また話題は変わって、以下は、なわ・ふみひと氏のHP「2012年の黙示録」より

インドや中国をほぼ植民地化することに成功していたイギリス(に巣くう世界支配層)は、アジアの中で日本だけは侮れないと見て、国の内部に植え付けておいた米内光政や山本五十六などのエージェントを使って日本を巧妙に太平洋戦争へと誘い込み、その主戦力(戦艦、航空機、パイロット)を完膚無きまでに破壊し尽くしたのです。世界支配層をそこまで警戒させるだけの民族の力を日本は持っていたということです。そのことが、戦後あらゆる面から国家機能を徹底的に崩壊させられるという今日の不幸を招いたとも言えますが、先人が示したこの国の底力については誇りを持っておきたいと思います。(なわ・ふみひと)

知っておくべき日本人の底力
渡部昇一・著  海竜社

●日本のもの作り力は世界一
  日本は島国で刺激が少ないこともあり、オリジナリティーに乏しいといわれるが、これはいいものだとわかると、すぐにそれを超えるものを作ってしまう。そうした素晴らしい能力を待っているのである。
  鉄砲、時計、仏像鋳造、軍艦、こうもり傘など、ここに紹介したのはほんの一部であるが、数知れないほどの海外からの発明品を徹底的に分解し、研究し、そして改良し、最終的に日本は外国のものを超える素晴らしいもの作りをしているのだ。
  これは日本人が昔から待っている特長である。
  「真似」から「本物」を作らせたら世界一だ。そして、今度は日本が作った「本物」を外国が「真似」することができないという痛快な「底力」を日本は依然として持っている。

●西洋文明を超える力をアジア各国に示した日本
  日本人はすぐに真似をすると嘲弄されたが、戦艦まですぐに真似されて、しかも性能は真似した日本の戦艦のほうが優れているということになると、「日本人は真似する民族だ」と列強国は揶揄しながらも内心日本が脅威であったに違いない。
  20世紀で世界に貢献したものは、アメリカ以上に日本がいちばんではないかと経営・社会学者のピーター・ドラッカー(1909〜2005)も言っている。
  その貢献とはどういうことかと言えば、一つは、日本が明治維新で植民地にならず、日本独自の政府を作った事実だ。もう一つは、他国のものであっても優れた技術は入れたほうがいいということである。この二つを日本は世界に、とくにアジア諸国に手本として示したというのである。つまり、欧米列強に絶対に敵わないと思っていたアジア諸国に、自分たちにもできるかもしれないという希望を持たせることとなったのである。

  日本がやってみせるまでは、有色人種は西洋文明を消化するほうにベクトルを向けたという兆候さえなかった。日本が消化して見せて、自分たちにもできるかもしれないとドラマティックに示した手本の第一例が日露戦争であり、決定版がアメリカとの太平洋での戦争である。
  なぜなら、航空母艦を作ることができたのは、日本とアメリカとイギリスだけだったし、イギリスでも機動部隊までは作れなかった。ドイツやソ連も航空母艦は持っていなかった。
  どういうことかと言うと、航空母艦を何台も使ってさらに巡洋艦、駆逐艦で編成し、航空戦を主とする高速艦隊によって作戦を立てるという発想が、イギリスにもなかったのだ。

  そういった機動部隊を最初に創ったのは日本であり、その偉力を知って、さらに大規模なものを作ったのがアメリカである。作れたのは、日本とアメリカだけだったのである。
  日本は航空母艦を十数隻持っていた。イギリスの航空母艦ハーミスは、日本軍のインド洋攻撃の際、撃沈してしまった。これは世界初の艦上機による航空母艦撃沈であった。イギリスは規模の点で、飛行機も航空母艦も全然問題にならなかった。

  太平洋戦争で3年何カ月かの間、日本は必死になって戦っていた。それを、世界中が多大な関心を寄せて見ていた。日本は石油も鉄もなくなってきたから、負けて当然と思っていただろう。しかし、ドイツを破ったイギリス海軍でさえ、手も足も出せなかったという事実に、日本は驚異的な「底力」のある国だということを世界中が周知したのである。

  とくに、イギリス海軍が、日本軍に歯が立たなかったということは大いに注目すべきことだった。チャーチルの著書『第二次世界大戦回顧録』にもあるように、日本のインド洋作戦においてはハーミスばかりでなく、重巡洋艦ドーセットシャーやコンウォールが撃沈させられている。そのときの急降下爆撃の爆弾の命中率は、90パーセント前後だといわれている。この確率は練習でも出ない確率であり、そのドーセットシャーは、大西洋ではドイツのビスマルク号と戦ったこともある強剛の重巡洋艦であった。

  最新鋭の戦艦プリンス・オブ・ウェールズも、日本軍とのマレー沖海戦で沈没した。プリンス・オブ・ウェールズは、チャーチルのお気に入りの戦艦であり、撃沈の知らせを聞いたとき、チャーチルは絶句したという。のちに、「戦争全体を通してあのような衝撃を自分に与えたことはほかにない」と、著書『第二次世界大戦回顧録』で語っている。

  この日本の「底力」には、撃沈された国も、傍観していた国も驚いた。弱腰で傍観していた国々は、早速日本の真似をし始めた。
  戦後いち早く復興を遂げたのは日本であったが、次に早かったのは日本の植民地だと言われている韓国と台湾だった。日本からの資本、技術をもらえば、すぐにある程度の工業化ができて、見違えるようになった。

  それを見て中国は、毛沢東以来、中共政府が何も作れていないことに気づいた。同じ民族であるはずの台湾のほうが、近代工業国となってどんどん輸出を増やしているからだ。それに気付いて、ケ小平は結局日本式に切り替えた。資本も技術も外国から入れようと方向を転換した。これが今の中国である。

  インドも、シンガポールも、インドネシアもみな満足ではないが、独立して技術を外国から入れようとしている。すなわち、日本式に倣っているのである。
  明治以来戦争を通して日本が「底力」を示したことで、やればできるということを世界中に証明した。この日本の功績は非常に大きいと言えるだろう。


がんばれ!!ニッポン。

つづく。


posted by コスモ at 23:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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