2010年04月10日

ユダヤの歴史。


みなさんのおうちにあるまな板のお話です。
預言者モーゼが仲間を従えて彷徨っているとき、食べ物に困ったモーゼは神に祈り、「マナの壺」を神から受け取ります。
マナの壺からは食べ物が、打ち出の小づちを振るかのように次々に出てきます。
それを仲間に切り分けるために使った板の事を「マナ板」と言います。
そしてマナの壺から出てくる神様から頂いたご馳走の事を「マンナ」と言います。
乳幼児向けのビスケットに「マンナ」ってありますね。
仁徳天皇陵のあの形は「マナの壺」です。

以下の話に出てくる「カナン」はひょっとして=カノン=観音?

以下、ユダヤの歴史。


国際的な金融システムをつくりあげたのはユダヤ人でした。
現代のパレスチナ・イスラエル問題にもつながる、有史以来の長い長いユダヤ人の苦難の歴史を、神話の時代からたどってみましょう。

旧約聖書にでてくる『ノアの方舟』は、知らない人がいないほど有名な話でしょう。
唯一神ヤハヴェの啓示に従い方舟に乗って大洪水から助かったノアとその家族は、その後、すべての民族の祖先となったとされています。

紀元前3000年頃、ノアの子孫であるアブラハムは、神によって「カナン(現在のパレスチナ)の地に行け」と命ぜられ、カルデヤのウル(現在のイラク)からカナンに移住しました。

アブラハムの子孫は、その後エジプトへ移住しますが、エジプト王国のきびしい支配を受けるようになり、紀元前1280年頃、預言者モーゼが「約束の地カナンへ戻ろう」と、仲間を引き連れエジプトを脱出します。
このときモーゼがシナイ山で神と結んだ契約を「十戒」と呼び、のちにユダヤ教の教えの中心となりました。

モーゼ一行(イスラエル人)は、神の奇跡に助けられ、約束の地カナンにたどりつきますが、そこには既に別の民族が住んでいました。
イスラエル人はカナンを奪い返すため戦争を起こし、ヘブライ王国という念願の国家を建設します。
ヘブライ王国は、ダビデやソロモン王の時代(紀元前1000年頃)に黄金期を迎えましたが、ソロモン王の死後、王国は北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂。
その北イスラエル王国も、紀元前721年にアッシリアに滅ぼされ、紀元前586年には南のユダ王国も新バビロニアによって滅ぼされて、政治・宗教のエリート層全員が捕囚として新バビロニアの首都バビロンへ連行されてしまいます。

紀元前539年、ペルシア王国(アケメネス朝)が新バビロニアを滅ぼし、捕らわれの身となったイスラエル人は帰国を許されました。
カナンに戻ったイスラエル人は、自分たちの神への信仰の正しさを確信し、エルサレム神殿を再建、ユダヤ教団を形成します。
しかし、イスラエル人は帰国を許されるも、独立国家の建設を認められたわけではありませんでした。
その後もペルシア王国、アレクサンダー大王、ローマ帝国という大国の支配を何百年も受け続けることになります。

紀元前1世紀頃、ユダヤ教徒はローマ帝国に対して二度にわたり反乱を起こしますが、敗北。
神殿も破壊されてしまいます。
その結果、ユダヤ教徒たちはエルサレムに住むことを禁じられ、各地に離散。
20世紀になってイスラエルを建国するまで、国家を持たない「流浪の民」としての生活を送ることになります。

このような民族的苦難が続いても、ユダヤ人は「いつかはメシア(救世主)が現れて、自分たちを解放してくれる」と信ずるようになっていきます。
このような信仰の背景には、イスラエル人は神に選ばれて契約を結んだ唯一の民族であるというプライド=選民思想がありました。

やがてパレスチナのガリラヤ地方ナザレにイエスが誕生。
イエスはユダヤ教徒として育ちますが、当時のユダヤ教のあり方に疑問を持ち、本来の神との契約に立ちかえり、「すべての人間は神の愛によって平等に救われる」と説くようになりました。
しかし、次第に影響力を増すにつれ、保守派(パリサイ派)ユダヤ教徒の反発を招き、「神を冒涜した」と十字架につるされて処刑されてしまいます。
その後「死んだはずのイエスがよみがえった」という噂が人々の間に流れ、かつての弟子たちが「イエスこそが神によってつかわされた真のメシアである」と確信するようになってキリスト*2教が成立。その後、キリスト教は弟子たちによってローマ帝国内に広められていくことになります。

キリスト教は、ローマ帝国内で次第に信者を増やし、ついにはローマ帝国から国教としての地位を与えられます。
また、ローマ帝国滅亡後も、ゲルマン人の王や貴族に保護され、西ヨーロッパで絶大な力を持つ宗教勢力となっていきます。

さて、その頃、パレスチナと比較的近いアラビア半島では、アブラハムの子孫「アラブ人」が遊牧生活を中心に生計を立てていました。
ラクダを使ったキャラバンで貿易を行い、次第に経済的に繁栄してくると、部族間の連帯が失われ、富める者と貧しき者に分かれてしまい、対立や戦いが起こるようになってしまいました。
アラビア半島西部の都市メッカに生まれたムハンマドは、このような状況にある社会に疑問を持ちはじめ、「なぜ人間は戦争や争いをやめようとはしないのだろう。
ユダヤ教徒やキリスト教徒たちも含めて、多くの人々は神の言葉を誤解しているのではないか」と思い悩むようになりました。

610年頃、悩みを抱いてひとり山の洞窟で瞑想にふけっていたムハンマドの前に大天使ジブリールが現れ「神の啓示をすべての民に伝えよ」と命ぜられます。
この時からムハンマドは、自らを神の言葉を人々に伝える「預言者」であると自覚するに至り、イスラム教が生まれました。つまり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、ともに同じ唯一神ヤハヴェを信仰する一神教なのです。

最初、ムハンマドが人々に伝えた啓示の教えはメッカで迫害されたため、621年、ムハンマドはヤスリブ(現在のサウジアラビアのマディーナ州)に逃れ、イスラム共同体を建設。
次第に周辺のアラブ人たちを支配下に収め、630年、ついにメッカを占領。
その2年後にムハンマドは亡くなりますが、後継者(カリフ)たちによって異教徒に対する聖戦(ジハード)が始められ、東ローマ帝国からエジプト、シリア、そしてパレスチナ地方を奪い取ってゆきました。
以降、パレスチナはイスラム教徒が支配する場所となり、アラブ人たちがやってきてユダヤ教徒やキリスト教徒とともに暮らすようになります。
ただ、イスラム教のユダヤ教徒・キリスト教徒たちに対する支配は寛容なもので、税金さえ払えば彼らの信仰を保障していました。

西ヨーロッパで絶大な力を持ち始めたキリスト教は、聖地エルサレムをイスラムの支配下から奪還するため、1096年から約200年にわたって十字軍を送り込みます。
パレスチナに入った十字軍の兵士たちは、住民を大量に虐殺し、1099年、エルサレム王国を建設。
しかしイスラムの反撃にあって、1291年、エルサレム王国は崩壊します。

この頃からヨーロッパのキリスト教社会では、ユダヤ教徒に対する迫害が強まっていきました。
「ユダヤ教徒はキリストを十字架にかけて殺した罪人である」という宗教的な理由もありますが、流浪の民であるユダヤ教徒は、いつ、どこに引っ越さなければならなくなったとしても困らないように、お金を蓄えておく習慣があったのです。
十字軍の遠征が始まると、その兵士たちは次々とユダヤ教徒を襲撃して虐殺し、金品を強奪。
異教徒征伐にかこつけて、軍資金の調達を行ったのです。
以後、ユダヤ教徒に対する迫害は強さを増していき、土地を持つことも制限されたため、農業を行うこともできなくなり、ほとんどすべての職業に就くことが禁止されました。
唯一の残された職業が、キリスト教徒がやらない利子を取り扱う職業=高利貸し(質屋)や金塊の保管人、両替商(貿易決済業)などでした。
当時、ユダヤ教もキリスト教やイスラム教も、利子の徴収は原則として禁じられていたのです。しかし、ユダヤ教は例外として異教徒(外国人)から利子をとることは許されていました。

中世になってルネサンスや宗教改革が起こり、政治と宗教が分離されました。
それまではキリスト教会が政治権力や司法権を握っていたのですが、プロテスタント運動などによって、政治権力や司法権は国王に移り、その後、フランス革命などを経て国民が力を持つようになったのです。

教会は国民の経済活動に口が出せなくなり、利子を取ることは罪悪ではなくなりました。
ところが、それまで利子は罪悪だっただけに、金融の技術はほとんどの人々にとって未知のものでした。
その技術を持っていたのは、ユダヤ人だけだったのです。

中世には、弾圧を受けたユダヤ人の移住が何回も起こりました。
ユダヤ人の金融家は、この離散状態を生かし、貿易決済業にたずさわるようになり、為替技術を発達させます。
また、貿易商人から毎月積立金を徴収し、船が海賊や遭難の被害にあったときの損失を肩代わりする保険業や、事業のリスクを多人数で分散する株式や債券の考え方も生み出します。

また、中世にはユダヤ人だと分かっただけで財産を没収されることもあったので、ユダヤ人にとって自らの名前を書かねばならない記名型の証券は安全ではありませんでした。
そのためユダヤ人の金融業者たちは、無記名の証券である銀行券を発行・流通させる銀行をヨーロッパ各地で運営していました。
この技術は、やがてヨーロッパ諸国が中央銀行をつくり、紙幣を発行する際に用いられます。

このように、現在の金融業は、ユダヤ人の迫害から生まれてきたともいえる技術なのです。
ユダヤ人は自らの構築した金融システムのノウハウを積極的に提供してきました。
それが、産業革命という時代の波にのり、資本主義を世界に広めていくことにつながります。

産業振興や、市場獲得のための侵略戦争など、国家の運営に必要な資金を最も上手に調達できるユダヤ人は、ヨーロッパの各国の王室にとって「なくてはならない存在」となり、国家財政や金融政策を担うようになりました。その中でも最もユダヤ人を重用したのはイギリスです。
世界各地を植民地化していった大英帝国にとって、各地に分散するコミュニティをつないで貿易や金融の取引をしていたユダヤ人の技術が必要だったのでしょう。

この時代に民間資本家としてイギリスの国家運営に最も影響を及ぼしたユダヤ人は、ロスチャイルド家の人々でした。
小さな島国であるイギリスが驚異的な世界進出を成し遂げ、世界の地上面積の5分の2を支配していた裏には、ロスチャイルド家の金融技術があったと言っても過言ではないと思います。

「国際金融資本に支配される世界」より。

つづく。


posted by コスモ at 00:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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