2010年10月15日

世界の支配階級。


チリの鉱山事故で生き埋めになっている方々が全員無事で救出されましたね。
それは大変喜ばしい事であると思います。

さて、よかったねえ〜、アメリカは凄いねえ〜、なんてのほほんと言ってる人はいませんか?
あほや〜〜〜。

救出にはNASAの技術が技術供与されました。
人道主義?
あのアメリカが?
人道主義?
んな訳ないでしょ。

あのアメリカが見返りなしで人を助けますか?
助けると思っている人は、お人よしです。

「戦略である事を肝に銘じてください」

具体的にはわかりません。
麻薬のケシ畑かもしれません。
レアメタルかもしれません。

いずれにしても、チリ政府はアメリカに大きな借りを作ってしまいましたから、いう事を聞かなければなりません。
戦略とはそういうものなのです。

地球儀をお持ちでしょうか。
さて、あなたはこの地球の支配階級です。
1700年当時世界の人口は5億でした。
1800年には7億になりました。
1900年代は12億でした。
2010年、今や人口は70億になろうとしています。

安定したエネルギー供給、食料、水、労働力。
どう計算してもこの地球の人口は35億が限界としたら?
何処に目が行きますか?

中国、インド、アフリカ、東南アジアではありませんか?
彼らにしてみれば、途上国の教養のない薄汚い虫けらに使わせる石油、食料、水なんて、無いんです。

訳の分からない流行り病、何処で起きますか?
世界政府の中心はヨーロッパです。
だから汚しませんね。

地球儀を見ながらよ〜く考えてみてください。
彼らの考えている事が少しわかってきます。

リーマン以来、アメリカの3大自動車メーカーがガタガタになりました。
トヨタ自動車も痛い傷を負いました。
その後アメリカ国内において、トヨタ車の欠陥問題が、異常に問題視されましたね。
わかりますか?
石油はいつか枯渇します。
彼らは自動車産業を潰しにかかったと考えるのが納得できる答えではないでしょうか。

中国、インドに車を売りまくる自動車産業なんて困るんですね。
もったいないでしょ、石油が。

北京オリンピック、上海万博と立て続けに中国で大きな催しが開かれていますが、何故ですか?
中国に力があるからですか?
中国を潰そうとした時、あなたならどうしますか?

中国は共産国ですから、当然情報統制されています。
多くの国民は外の世界を知りません。
外側を知らなかった人たちが、外の世界を知ったらどうなりますか、わかるでしょ。
グーグルともめましたね。
中国は今、情報が漏れだして大変なんです。
ベルリンの壁が崩壊して、東ヨーロッパが解放されたのは情報です。

世界支配の彼らは、中国を潰しにかかったなと考えるべきなんです。
風の便りによりますと、胡錦の個人の財産はすでにオーストラリアに移してあるとかいないとか。

彼は清華大学の出身ですが、この大学はロックフェラーが中国から巻き上げた補償金で作ったものですし、主席はアメリカに留学もしています。
そう、チャンと繋がっている訳ですね。

彼らは事の成就にたっぷりと時間をかけます。
日本人のように焦りません。
すぐに結果が出なくても、じっとしています。

民衆に悟られないように、わざわざ回り道もします。
そうして、本当の事に気がついた人々の信用を失墜させるために、時には目的とは反対の事もします。

たとえば反ユダヤである活動家が、近いうちに世界恐慌が起きるぞというと、そんな事は無いさとばかりに、株価を釣りあげたり、影響力の大きい人の言う事とは反対の事象を起こしてみせます。

こうして、活動家の信用を失墜させ、ほとんどの人が忘れた頃に、まんまと私たちを罠にはめます。
これがユダヤの戦略なのだという事を、心に留めておいてください。

つづく。





posted by コスモ at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

因果律。


ときどき因果律について考える事がある。
その時必ず頭の中に浮かんでくるのが、あの忌まわしい「女子高生コンクリート詰め殺人事件」なのです。
あの事件でさえ、因果律の法則(因果律という表現が嫌いな方はこの言葉を、運動の第3法則、作用と反作用の法則と置き換えるといいと思う。同じ事だから。)にしたがって起こった事なのだと頭の中で理解していてもどうしても飲み込めない。

この飲み込めない理由についていつも考えるのだがやはりいつまでたっても胸の真ん中あたりで詰っている。
消化不良とかいうものではなく、胃袋に行くにいけずに18年間悶々としてきた。

突然ある事に気がついた。
事件当時、会社の営業部長がこの事件についてこう語っていた。
「隙があるからだ、こんなもん。」
え?なに?・・隙?・・・こんなもん??
こいつ何言ってんだ?
その言葉の冷酷さに鳥肌が立つ思いでした。

この時のバカ男が言った言葉と、必ずセットになって思い出している事に今更ながら気がついた。
そしてその時筆者自身が、そのバカ男にいだいた負の感情が、いつも色あせることなく再現されているのだ。

つまり事件が飲み込めないのではなく、バカ男がその言葉を吐くにいたった思考回路の中に問題があるのかもしれない。

人間の心の底に巣食う醜さの権化、非情さ、身勝手さ、バカ男の思考回路の中には人間の持つ悪魔的な厭らしい部分の全てが含まれているように思えてならない。
日本人にもこんな人間がいるのか?
お前は6百六拾6だな。

せっかく因果律という言葉が出てきましたので、「2012年の黙示録」より引用させていただきます。
以下引用。

 「霊性」とは自我の本体のことで「個性」の根源と考えてもよい。
そもそも人類がこの地球という物質界に生活の場を求めて降誕してくる目的は物質界ならではの体験、仏教で言う生・老・病・死・苦・喜・怒・哀・楽などを通して霊性を磨き霊力をつけることにある。

霊にとって物質界は「修行場」としての価値が大きいようである。
その霊性の高さ・程度のことを「霊格」という。各自はその霊格に応じた波動の中で生活している。
  物質界への降誕に際しては類魂(グループソウル)の一人が守護霊として、さらに複数が指導霊として付けられる。

指導霊は生長に応じて交代があるが、守護霊は終生替わらず、苦楽を共にしながら、死後も案内役となってくれることが多い。
  
ついでに付言すると、守護霊のことを英語でGuardian Spirit ないしは Guardian Angel などと言うが、いずれも日本語同様に「守る」という意味が込められているので、とかく苦難や病気や災害から救ってくれるかのように思われがちであるが、これは地上の人間的誤解である。

  苦難には「苦難の法則」というのがあり、原因と結果の法則――「因果律」――によって裏打ちされている。必ずしも意識的な悟りを伴わずに、霊性を高め霊力を強めるように配慮されている。

「天の配剤」というのがそれである。
なぜあれほど残酷なことが起きるのだろうと、理解に苦しむことがあるが、そういう体験をさせられる人は、それに相当する業を背負っているに違いないのである。

前世の因縁というのがそれであろう。
それは必ずしも当人の犯した罪の報いとは限らない。
類魂の一人である守護霊のものかもしれない。
だからこそ手出しができないのである。
そういう時は守護霊も共に苦しみ悲しんでいると思うべきである。

  「神とは法則であるGod is the Law」というのがスピリチュアリズムの大原則である。
法則とは因果律つまり原因と結果の法則the Law of Cause and Effectのことで、霊性の進化を促すことを目的としては最後の小数点まで計算され、その結果には寸分の狂いもないというのが、高等な霊界通信の一致した表現である。

  所詮、物質界は過酷なトレーニングセンターであるから、病苦や悲劇は覚悟しなければならない。
よく奇跡的な治病体験が語られるが、それは法則を超えて治ったのではなく、その体験によって罪障が消滅して、そこに霊的次元の法則の働く条件が整ったことを意味するのであって、同じ不治の病の別の患者が同じ治療家の所へ行っても、その条件が整っていない場合、つまり機が熟していないかぎりは、何の反応も見られないことになる。

物理的法則が絶対であるように、霊的因果律もまた絶対なのである。
  あなたも今この時点において霊的存在であるから、ものを思い、心配し、喜び、あるいは悲しむといった心の働きは、肉体はもとより霊体にも幽体にも共鳴し、あなたという一個の人格(個性)を形成していく。

  ここで改めて指摘しておきたいのは、人の道に反したこと、つまり良心が痛むようなことは、たとえ第三者に知られなくても、その事実そのものが精神体つまり魂に刻み込まれるということである。

  「神は木の葉一枚が落ちるのもご存じ」という先人の言葉はそういう意味である。この精神体つまり魂のことを近代の心理学では「潜在意識」と呼んでいる。
人間はこれを死後にそっくりそのまま持ち越す。

あらゆる運命学者、宗教家、文学者等々が共通して誤っている点は、運命というものを1つの観点からしか見ていないことにある。
その現象の全てを、世俗的な因果律だけで説明しようとするところに誤りがあるのである。
  では、2種類の運命因果律とはどのようなものか説明しよう。

  1.世俗的運命
  2.非世俗的運命
  この2つである。

 〈世俗的運命〉

  これは、一般にわれわれが運命と呼んでいるものである。
あなたが神社のお神籤を引く時にはこの運命について占っているものだ。
つまり、この世的な人生とそれに関わる吉凶禍福を指しているわけである。

  一般に言われる因果応報はこの範疇に入り、悪いことを行なうと悪い結果が生じるとするものである。
これを悪因悪果、この逆を善因善果という。
正しくは「悪因苦果」、「善因楽果」といい、結果として現象そのものを善悪で判断することの誤りが示されている。

  しかし、仏教において正式なこの表現も、私に言わせると未だ不完全であり、これは「苦因苦果」「楽因楽果」と呼ぶべきである。

なぜなら、行為そのものには結果同様に善も悪もないからである。
善や悪という価値は、人間という秩序において、その社会規範に照らして語られているのであって、教理的な宇宙の構造からすれば、それは機能としての作用にすぎないのである。

  人はよくこんなことを言う。
  @「あいつは悪いことばかりやっているのに出世し、自分は真面目に努力しているのに
   全く運も何もない」と。
  A「あの人より私の方が優秀なのに、私にはちっともチャンスがない。因果応報なんて
   バカげた話だ」。
  さらには、
  B「私はこんなに素晴らしい人間なのに、どうしてああいう人たちが私より幸せなのか」
  となる。

  そのどれもこれもが理を解しておらず感情論を展開しているにすぎない。
  @でいう「悪人が出世する」理由はちゃんとある。因果律に反することは絶対にないのだ。

  つまり、ここにいう悪人は、出世するために、たとえあくどいことだろうが、それなりに一生懸命「努力」したということなのである。努力という種子が蒔かれた以上、それは時と共に成長し、ついには実を結ぶに至るのである。善悪などという人間の思惑に関係なくそれは機能する。

  悪人といえどもその努力に対してはちゃんと成果が出てくれる。
だから、成功もするわけだが、反面、利己的に行なってきたため、他人から反感を受けている。
その反感は、集合無意識を通して彼の心の中に、ある種の抑圧を生じさせ続けるのである。
また、実際に彼に対して敵意をむき出しにしてくる者もいるだろう。

  人によっては、「今生」において全く何も支障がなく悪事が全うされてしまう場合もある。
それは一つの強運であるが、強運であればあるほど、それは始末におえないことになる。
なぜなら、その無意識のエネルギーは「来世」にも引き継がれるからである。

時間が経てば経つほど、それは巨大な化け物となっていく。
その時点において、災いと呼ばれる決定的な事態を生じさせることになるのだ。
一般に因果律における矛盾は、因果律が支配する時間が「今生」のみに限定されてしまった点にある。
「来世」以降も連続世界として捉えるならば、何らこの誤りが見出されることはない。

 〈非世俗的運命〉

  すでにおわかりと思うが、非世俗的運命とは「霊性の向上」に関わる運命のことであって、その因果関係は、世俗的運命の機能を利用して現れてくるために極めて紛らわしい。

  つまり、霊性の向上につながる行為というものは、世俗的因果と異なり、多分に逆説的要素を持っているということである。

それは他者のために行なった事が、なぜか他者から非難されるという矛盾した結果を招くというものである。
世俗的因果律にあっては、常に悪業に対しては悪果を招く。
この矛盾がなぜ生じるのかは、世俗的な価値と非世俗的な価値が対立的に作用し合うためである。

  例えば、世俗的価値観にあっては「有名になること」は大変素晴らしいこと、成功者の一つの条件とされている。ところが、この同じ「有名になること」が、非世俗的な価値観と出合うと、自己顕示欲や権勢欲や慢心といった自我の巨大化をもたらすものとして、大変に忌み嫌われるのである。

それは俗に「修行の妨げになる」という表現で語られることが多い。
キリストは金持ちが天国に入れないことを説かれ、釈尊はそれらが執着を生じさせ迷いに陥ると教化された。

以上。

ご利益信仰のインチキ宗教に浸かってるかたはいませんか?
早く考え直した方がいいですよ。
お布施をしたからといって、あなたのカルマを帳消しにしてなんてくれませんよ。
早く足を洗ってください。
え?やめたら幸せになれない?
え?仏罰がくだる?・・・どっかで聞いたような・・・。
そういえばソン・テジャクとかいう教祖の朝鮮宗教でしたか・・・。
あ、文鮮明もってのもありましたね。
ワールドメイトとかいう清和会べったりもありましたね。

※ソン・テジャク→池田大作。


つづく。





posted by コスモ at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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