2011年08月24日

放射能シンドローム。





日本という国家、この国には「かもネギ」という言葉がある。
この国では非常に珍しいことに同盟国と主張する別の国から地震を人工的に引き起こされており、多くの犠牲者が出ているにもかかわらず「助けてくれてありがとう」と感謝しているという、きわめて特異な国である。
何とも不思議な国である。
まさしく「かもネギ」である。


果たして、福島原発の放射能は実際はどうなのか大変気になるところであります。
ネット上では、政府の発表は全くのデタラメで、実は人が住める状態ではないと主張する人たちが多く存在しています。

政府発表否定派は妊娠初期に311東北大震災で被爆し、後期中絶を余儀なくされてしまうケースも多く存在しているといい、また奇形児の出産も相次いでいるのだと主張している。

代表的なところでは、かの宇野正美氏もそうであり、ネット上では東海アマが代表であるかもしれない。
東海アマ→http://twitter.com/#!/tokaiama

反してR・K氏は福島は危険ではない。
放射能パニックを誘導する力が働いており、日本を混乱を巻き起こす事を目的としていると主張している。

現地に行って検証する事も出来ない私たち一般人にとって、どちらが本当なのか判断できないところあります。

そこで筆者が注目したのは天皇家の動きだ。
日本の最高の支配階級である天皇家が危険なところに、のこのこ出向く訳がない。
天皇家は被災地に2度も赴いている。

指標はまだある。
911の時、イスラエル人が潮が引くようにあのビルから消えている。
本当に福島が危ないのなら、六本木ヒルズから金融ユダヤ人が真っ先にいなくなるはずであるが、そのような動きはどうやらない。

まして、フリーメイソン日本支部の森ビルのオーナーのビルである。
あのビルが空になるはずだ。


福島が本当にチェルノブイリ級の危険度であるならば、もちろん東京も危ない。
小泉新次郎が国会に顔を出しているという事も指標になる。

つまり、東京は安全。
転じて福島は危険ではないという結論になる。

思えば1960年代地上で行われた核実験は2000回を超えている。
この時代の放射線量は今の100倍に達するようだ。

誘導されてヒステリックになったり、神経質になってはいけない。
落ち着いて周りを見れば、判断材料はたくさんあるはずだ。

ところで、この場に及んでも「人工地震なんて、おめぇ気が狂ってんじゃねぇの?」と私の事をお嘆きの貴兄、先般のNHK証言シリーズをご覧になっただろうか?

戦時中に起きた隠蔽された巨大地震、東南海地震についてだ。
地震の後、B-29がビラをまいた。

そのビラには毛筆で「地震の次は何をお見舞いしましょうか?」と書かれていた。

小学校3年生程度の学力があれば、このビラの意味する事がお分かりになるのではないでしょうか。

動画がありますのでご覧ください。





posted by コスモ at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月13日

御巣鷹山の怪ーJAL123便の無念。






何度も申し上げている通り、JAL123便の事件は、グリコ森永事件→JAL123便→プラザ合意→バブルという、一連の社会、政治現象と密接な関係があります。

グリコ森永事件
https://blog.seesaa.jp/pages/my/blog/article/edit/input?id=217564030

JAL123便が御巣鷹山に墜落してから今日で四半世紀になります。
この事件にこだわり続ける私としては、まだまだ納得がいきません。
以前当ブログでもご紹介いたしました、この事件だけを扱ったサイトがありますので、ご覧頂いていない方は、先ずは一度訪ねてみてください。
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/2ae393ac6bf8cc30807ba140c33183f8

この管理者の方がクリスチャンであるようですので、まさか統一教会関連者?とか、執拗に追手が迫っている割には、その追手の写真を鮮明に撮影している点など、疑問に思う点はいくつかあります。

私は偶然にも、この事故が起きた時現場近くにいた方とメールで知り合う事が出来ました。

以下はその内容です。

この記事は昨年も掲載いたしましたので、永くお付き合いして頂いている方は読んだ記憶がおありと思いますが、重要な記事ですので、これらも毎年掲載させていただきます。


>>こんな講演があるとは驚きです。
途中**がありますが未だ公表できません.

目撃者で現地1番乗りの人?
というのが気になりますが、ほんとうに現地に行けたのでしょうか?
私は現地に行こうとしましたが行けませんでした。

墜落後10分程度で**のヘリコプターの編隊が現場に行っています。
我々はこの時上空から発見されたと思います。
だから我々のところに**がすっ飛んできたんだと思います。
墜落現場は墜落30分から1時間以内におそらく半径数キロにわたって完全包囲されたはずです。

私はこのときの光景が今でも夢に出てきます。
「危ないからとにかく離れろ!」血相を変えて顔面蒼白気味に叫びながらやってきました。
「何が危ないか! 生存者を助けないのか?」言ったのを覚えています。
「我々がやるから、とにかく離れろ!」
こんな会話だったと思います。
この**の包囲の内側に人がいたかどうか判りませんが、いてもおかしくは無いと思います。

この後また違うヘリコプターの編隊(たぶん**)が30分以上後にやってきました。
もう時間感覚がなく時間は定かではありません。
(落合さんの証言と同じで2回ヘリコプターの編隊を確認したという証言がありました。)
ただ落合さんは肝心なところで気を失っていたようです。(口止めかな?)

この部分は事件を考えるうえでは重要です。

前後しますが、少しづつ整理してお話します。話したくないところもありますが平にご容赦願います

0.背景
@防衛費GNP1%突破
Aプラザ合意
B自動車輸出自主規制枠
アメリカの***が上記を日本に迫り日米で激突していました。
アメリカの圧力
・自動車会社(トヨタ・日産・本田)の輸出自主規制枠
日本政府に伝わる前にホワイトハウスが知りアメリカが要求する枠
へ日本政府を誘導し自主規制枠をアメリカ主導で決める
・プラザ合意で円切り上げを20%(当初?)になるまで為替介入を
する。

結果79円まで円高が進んだと記憶しています。
アメリカ企業が日本に輸出し易く、日本がアメリカに輸出し難くする約束をさせられた!(だまし打ちに近いものでした)
・防衛費GNP1%枠の撤廃
米軍経費の思いやり予算を名目に日本の防衛費を、自主的に制定したGN1%制限枠を外した。
⇒日航の事故の時正にこれが国会で審議されていた。
・米軍と自衛隊合同による執拗な合同演習
⇒事故の日は下田沖で演習をやっていました。
(日本政府への圧力として)

1.伊豆半島沖での出来事の前
防衛費GNP1%枠の撤廃を国会で審議している最中、**に下田沖の演習の情報が入ります。

【このへんはあまり詳しく話したくありません。】

機長も困惑したはずです。

2.伊豆半島沖での出来事の後

機長は羽田に引き返したかったらしいのですが、結局機長は無事に着陸できる確立の高い選択をします。
(大変賢明な判断だと思います)
・ほとんど操縦不能なため管制誘導に一縷の望みを繋いだ
・管制誘導がだめでも着陸或いは墜落場所が確保される場所

この段階で横田基地方面を目指します。

横田基地管制は天使か悪魔かは知りませんが、執拗に着陸を誘導します。

日本****は横田基地着陸を拒否します。

行き場を無くしたJALは大月で急旋回後機長は腹をくくったのでしょう
山間部を目指します。
ダッチロール状態で横田を目指し旋回し方向を変える操縦は殆ど神業です。
(この拒否がなければ横田基地にもしかしたら無事着陸できたか
もしれません。)

3.墜落時−1(私が見たのはこれ:目撃者は少ないと思います)

目撃した場所から墜落現場まで1時間あれば行けたと思います。
【申し訳ありません話せません】
サイトの記載を見せて頂きましたが、墜落現場付近で戦闘の類は
私は見ませんでした。しかし違うものは見ました。
(戦闘には見えませんでしたが、戦闘機の類は現場周辺上空にいたことは間違いないと思います。音のみの確認)

目撃者に戦闘シーンを見た人がいるのですか?
またソ連機の残骸も見つかっているのですか?

これは私の推測ですが、この事件をサッチしたソ連が戦闘機を発進させ偵察に来たところを、日米合同演習の作戦中の飛来なので交戦状態になり相互に被害を出したが、結局ソ連機を撃沈させた。(このような場合ソ連は沈黙します。)
この事件を大筋理解している私からみるとありうる話です。
でもこの話は日航の事件中に偶発的起きた2次的な話と思います。
分けて考えたほうが良いと思います。

実はこの時中国も戦闘機を発進させています。
ソ連機の末路を見て帰還したのかもしれませんが、 しかし、中国は日航事件をほぼ全容把握しています。
日本の軍事に対する姿勢を野心と執ったのかも知れません。
この数年前にA級戦犯を靖国に移した事実をこの年から 軍国日本への警告として「靖国問題」として語っているのです。


ボイスレコーダーの信憑性ですが、私はこのように判断しています。
本来ボイスレコーダーは永久非公開です。
ではなぜ出てきたのでしょうか?
都合の悪いことは削除されていることもわかります。
悪意の人の情報操作の匂いがします。
しかし、よ〜く聞くと善意の人の必死の抵抗も感じます。
最終的には善意の人によるボイスレコーダーであると思っています。

(これについてはまた別途機会があればお話します。)

・一縷の望みであった管制誘導を断念し(機長としてできる全ての手段が断たれた後)横田アプローチに切り替え着陸態勢に入っていきます。
・***に横田アプローチが拒否されます。
・フライトレコーダ上では空白の無応答の時間があって、自らの判断で横田を断念し、被害を最小限に抑える機長判断から熊谷北西25マイル方面に飛んで行ったと当初は思っていましたが、ちょっと違う話も聞いてます。

この後横田管制は着陸をしきりに促し続けますが機長は全くと言ってよい程反応がありません。
(聞こえて無いような?:後から追加したような?)
墜落後も横田管制が「最優先着陸を伝え」その後「東京管制?」が横田アプローチを促します。

大月上空の時何故言わないのか疑問ですが!このへんで止めます。
(国としては適格な判断なのかもしれません。と言いたいところですが・・・・。)

4.墜落時−2(目撃者が結構いたはずです)

【申し訳ありません話せません】

現場の破片や残骸集めをしている人のことは聞いたことあります。
サイトの記載ですが、核兵器ですか?それなら私はきっと被爆したかもしれませんね。
でも私は被爆してません。
私はこの分野の専門家ではないので、判りませんが違うと思います。
最初に現場に行った人のインタビューも聞かせていただきましたが、
夜明け近い時間のようですが、包囲網が解除されていたんですね!


実は知っていますが言えません。(アメリカで聞いた話)
見た事に即しているので一応信用しています。

旅客機を運搬手段として毒ガス・核物質・核兵器の運搬?
横田管制が執拗に着陸を促しているので、何かあるのかもしれませんが信用できる人の情報でも上記の類の運搬については聞いたことありません。

5.墜落後

この事故の最大の悲劇がここから始まります。
【私は当然現場を見ていません。がここの話はアメリカ人:Aから聞きました。】

(内容は絶対話せません)

私は冒頭にもあるように**に追返されます。
キャンプに戻る途中警察や放送局の車とも出くわしました。
【余談ですが】
その10年以上後某放送局の友人と久しぶり飲んでる時、JALの話題が出て、この時局の車が現地近くで別の場所を指示 されたと言ってました。
あ〜!あの車ね!とピンときましたが、***が別の場所を指示したんだと思いました。
(だからスクープを逃したわけね!:結局8がお膳立てが整った後あの感動シーンになったわけね!:と独り言をつぶやいたのを覚えています。)

何年後か忘れましたがこの放送局でお話している時、事故当時警察無線を聞いていた人がいました。「なんか変だ!」と仰ってました。
また、あることを言い出しました。内容は話せませんが、警察も事故後数時間は近づく事も動く事も制限されていたようです。

6.この後
この事件の翌月9月プラザホテルで有名なプラザ合意がなされます。
宮沢さんが交渉にあたります。
確か12%だったと記憶していますが、円を協調介入でこの水準まで切り上げというものでしたが、20%以上まで切上た印象があります。(数字はもう忘れました!)

1985年日本は大きく変化させられました。また自ら変化もしました。
経済的には脱アメリカから中国・東南アジアに舵を切り始めます。
外需依存型から内需+外需共存を目指します。この当時50%近くあったアメリカとの貿易額は今は10%代まで落としてきています。

日本は1985年を境に経済一辺倒を止める決意をしたと思います。
先ず憲法の範囲で自衛隊の可能性を模索始めました。
インドネシアの基地、インド洋での給油、中東海賊監視、地中海での仏軍との共同作戦、米軍との実践を想定した演習
迎撃ミサイルの開発、・・・・・・・今では宇宙にも目が向けられています。
全てがここを境にしています。
JALの事件で日本は弱いことがいかに惨めかを知ったんですよ!<<

つづく。



posted by コスモ at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月10日

ハル・ノート。




今年も終戦記念日が近づいてきました。
そもそもなぜ「記念日」なのか?
ユダ金における日本占領、搾取の始まりがそんなに嬉しい事であったのだろうか?

戦争自体過去に例を見ないものであったが、終戦後アメリカ占領下における日本の変遷こそは「過去に例を見ない」というよりは、むしろ神掛かり的でさえあった。

日本を僅か5年の占領期間で終えた事を思うと不思議でならない。
属国と陰口をたたかれながらも、ユダ金に搾取され続けたにせよ、これだけの繁栄をした国は無い。

この、「終戦記念日」に限らず、戦争の名称自体、「大東亜戦争」から、戦後「太平洋戦争」と呼び名が変わっている。
ここにも日本国民に対する意識の洗脳の手練手管が見え隠れしている。

さて、昭和16年12月8日、日本は米国との開戦に至った。
太平洋から東南アジア、インド洋にいたる広大な海洋を舞台とし日本は史上例を見ない大戦争を戦った。

何せ日本の当時のGDPはアメリカの10分の一であった。
全く信じられない暴挙であった。

そして4年にも及ぶ「大戦争」は最終的に昭和20年8月15日、日本の敗戦によってその幕を下ろした。
しかし何故日本は国土の広狭・資源の有無・を無視してまで「日米開戦」に踏み切ったのか、常識では考え難いがそれらに関係無く日本に開戦を選択させるべく仕向けたアメリカの『責任』がある。

「アメリカが日本に送ったのと同一の文書を他国に送れば非力なモナコ公国やルクセンブルク公国でさえ必ずアメリカに対して武力をもって立ちあがっただろう」これは東京裁判でのパール判事の言葉である。

勝ち負けを度外視しても開戦を選択せざるを得ない理由こそがまさに『ハルノート』である。(正式名称、合衆国及び日本国間の基礎概略)開戦前夜の昭和16年11月26日アメリカ国務長官 コーデル・ハルが日本政府に対して通告してきた文書でこれを読んだ日本国はアメリカからの最後通告と解釈したのである。

当時日本はアメリカ・イギリス・支那・オランダによる対日経済封鎖により石油・ゴム・といった資源のほとんどを供給停止されていた為に南方進出を真剣に考えていた。

東南アジアの国々はほとんど欧米の植民地である。
その国々を独立させ対等貿易を行えば日本に活き残る道はある。
その為にはアジアから欧米の植民地支配を排除せねばならないが欧米と開戦できる国力は無い。
そんな状況下にありながらも日本は日米開戦を回避すべくぎりぎりの条件を提示して日米交渉の妥結を願った。

その条件「甲案」とは

  1・ 日支(日本と支那)に和平が成立した暁には支那に展開している日本軍を2年以内に撤兵させる。

  2・ シナ事変(日中戦争)が解決した暁には「仏印」(フランス領インドシナ)に駐留している兵を撤兵させる。

  3・ 通商無差別待遇(自由貿易)が全世界に適用されるなら太平洋全域とシナに対してもこれを認める。

  4・ 日独伊三国同盟への干渉は認めない

と言う内容であり更に「甲案」での交渉決裂に備えて日米戦争勃発を未然に防ぐ為の暫定協定案として「乙案」も用意してあった、乙案は下記の内容である。

  1・ 欄印(オランダ領インド=現インドネシア)での物資獲得が保障されアメリカが在米日本資産の凍結を解除し石油の対日供給を約束した暁には南部仏印から撤兵する

  2・ 更にシナ事変が解決した暁には仏印全土かた撤兵する。

要するに日本に対する経済封鎖が解除され石油などの資源が供給されれば南方に進出する必要性は無くなる。

それと引き換えに日本も全面撤退に応じるという内容である。
この事については駐日大使ロバート・クレーギーが帰国後政府に提出した報告書で「日本にとって最大の問題は南方進出では無く耐え難くなりゆく経済封鎖を取り除く事だった」とかかれており日本の南方進出が「領土的野心」等では無かった事を証明している。

東京裁判でアメリカ人のブレークニー氏も「日本の真に重大な譲歩は甲案であり、甲案において日本の譲歩は極限に達した」と言っている。

日本側は対米交渉においてこれ以上は応じれない譲歩を示したと言う事である。
しかしそれに対しアメリカは11月7日に「甲案」、11月20日に「乙案」をも拒絶し11月26日に日本が到底受け入れる事の出来ない「ハルノート」が提出された。
ハルノートは以下の文書である。

  1・ 日本軍の支那、仏印からの無条件撤退

  2・ 支那における重慶政府(蒋介石政権)以外の政府、政権の否定(日本が支援する南京国民政府の否定

  3・ 日独伊三国同盟の死文化(同盟を一方的に解消)

日本に対し大陸における権益を全て放棄し明治維新前の日本に戻れと言う事である。

江戸時代アメリカに武力で開国を強制的にせまられて以来欧米列強に揉まれながらも日本は血の滲む努力の末やっと対等になりつつあるところで「全てを放棄しろ」である。

こんな訳の解からぬ条件を突き付けながらも経済封鎖の解除には一言も触れて無い所などはさすがは「詐欺師国家」アメリカである。

日本は生存権を賭けて日米開戦の道を選択したと言うより開戦という選択を取らされたのである。

資源・物資・大陸での正当な権益・アメリカにある日本の資産・これらを放棄しろと言う事は「死ね」と言うのに等しい事である。

アメリカ流の屁理屈で言わせてもらえば日本の選択した『開戦』という道は自衛手段であり日本には一切の戦争責任は無いと言える。

これらの構図は現在も続いている。
常に対象国を挑発し、事の責任をなすりつけるやり方はいかにもユダ金帝国アメリカの考えそうなことだ。

敗戦後東条英機は処刑されたことになっているが、ヒトラー同様、私は生きていたのではないかと思う。

うまく説明できないが、東条の二男は三菱重工の社長になっている。
三菱財閥と天皇家の関係、昭和天皇と東条の関係を考えると、東条を処刑するとは考えられない。

処刑後、東条の遺体は家族のもとには帰っておらず、航空機で太平洋に散骨したことになっている。
限りなく怪しい。
グアム、サイパン、ハワイ、もしくは南米のどこかの片田舎でひっそりと暮らしていたのではないかと思えてならない。

最後に東条の処刑前の手記がありますのでご紹介いたします。

《英米諸国人に告げる》

今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。
この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。

しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。
私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。

しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばに過ぎるものがあるのではないだろうか。

我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。

いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。

もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。

諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。

《日本同胞国民諸君》

今はただ、承詔必謹する〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。私も何も言う言葉がない。

ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。

この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。

ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。

不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国にあるということは動かすことのできないことである。

力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。
人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。

諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。
日本は神国である。永久不滅の国家である。
皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。

諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。

つづく。




posted by コスモ at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月09日

売国奴連合は日本から消えろ。





どうやら日本政府は「円高是正のため今後もドル買い替介入する」「日本が米国債の購入継続を表明することで米国債への信認をアピールする。」つもりらしいですが、世界でいち早く市場の開く日本で、「米国信任」を打ち出せば、極東発の世界全面株安は予防できるかもしれないとユダヤ金融財閥ら、最後の望みをかけているのでしょうか。

為替に日本政府が介入する。
すなわち、日本がドルを買う=アメリカにお金をあげる。
もう絶体絶命のアメリカにこれ以上金をつぎ込むつもりか?

B型肝炎訴訟では増税案を打ち出してきている。
ユダ金に貢ぐ金があるなら、あるうちに国内に回せ。

遅かれ早かれ、いずれアメリカは破たんする。
日本も大きな傷を負う。
これ以上傷口を広げる行為はやめてほしいものだ。

<G7>市場安定へ協調 緊急声明発表で調整 日本、米国債購入継続 毎日新聞 8月8日(月)7時6分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110808-00000001-maiall-bus_all

米欧の財政不安に対応するため、日米欧の先進7カ国(G7)は7日、日本時間の8日早朝に財務相・中央銀行総裁による緊急の電話協議を開き、市場安定化策を議論することを決めた。米国債の格下げなどを受け、週明けの金融市場の混乱回避に向け、基軸通貨であるドルの信認維持に向けた協調体制を確認し、緊急の声明を発表する方向で調整している。電話協議で野田佳彦財務相は米国債購入の継続を表明する方針。日本は米国債の保有額が中国に次いで世界2位で、米国債への信認をアピールし、市場安定化に貢献する構えだ。

G7各国の財務相代理(日本は財務官)らは7日午前、緊急の電話協議を開き、財務相・中央銀行総裁の協議に向けた詰めの議論を行った。市場安定化策としては、各国の中央銀行が市場に大量の資金を供給し、市場の動揺を抑えることなどが検討されている。8日の協議終了後、東京市場の取引が開始される前にG7の声明が発表される可能性もある。7日朝には新興国も加わった主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁の代理による電話協議も行われた模様だ。

米国債を巡っては、米格付け会社のスタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が5日、格付けを最上位の「AAA」から1段階引き下げた。各国の政府や金融機関が大量保有する米国債が信認を失えば、ドルとともに暴落し、金融市場が大混乱に陥りかねない。

また、欧州では財政不安がイタリアやスペインにも拡大し、長期金利が上昇。欧州中央銀行(ECB)は両国の国債の市場購入を検討しているほか、欧州各国はG7の電話協議に先駆けて、欧州金融安定化基金の拡充などを協議する方向だ。

一方、五十嵐文彦副財務相は7日午前のNHK番組で「(円相場に)不自然な動きがあればまた(介入を)発動する」と述べ、急激な円高・ドル安が進めば、政府・日銀による円売り介入を再開する考えを示した。また、日本はドル暴落回避に向け、「米国債は魅力的な投資対象に変わりない」(政府関係者)として米国債の保有継続を打ち出す考えだ。

一連の財政問題ではオバマ米大統領が5日夜にメルケル独首相やサルコジ仏大統領らと電話協議するなど米欧首脳の動きが活発化している。ただ、「欧州問題で日本の打つ手は限られる」(国際金融筋)として、菅直人首相は首脳協議に加わっていない。【小倉祥徳】

つづく。




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2011年08月01日

デフォルト回避。




http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110801-00000052-jij-int

初めから解っていたでしょう。
都合が悪くなれば、自分たちの都合のいいように「ルールを変える」。
そんなことずっと前からそうですね。
今更あーだこーだではありません。

アメリカは借金を払う気は毛頭ないので、いつかは万歳するでしょう。
でもそれは今ではなかったという事ですね
と、いいますか、デフォルトする前に、賭場をひっくり返しますよ。
やはり、2012年に照準を合わしているのでしょうか。
それまでは、伸ばし続けるでしょう。

初めから払う気がない借金ですから、いくらでも借りまくります。
そうして、都合よく事を演出(この場合「アセンション、またはフォトンベルト」)するでしょう。

ただ、連中のなかでもこの頃は二派に分かれもめごとがあるようです。
一つはフォトンベルトの襲来に備えて、自己保身するべきと主張する側。
もう一つは、あくまでもニューワールドオーダーにこだわる側。

話は変わりますが、24,25の預言はやはりただのお探せ情報だったようですね。
それはそれで、良かったと思います。
なにも起こらなかった「良かった」と、予言なんて当たらないんだって「良かった」。

このごろは、日本にも2012年に合わせてなのか、お騒がせおじさんたちがいらっしゃいます。
やれ、北京オリンピックは、開催されないだとか、10月に(過去の話です)宇宙船がやってくるだの前評判だけは大したもんだが、当たっためしがない。

著書も色々出されているようですが、大人の童話でも読む気持ちでお読みになると、それはかなり面白い物だとは思います。
夢を見るのは素敵な事ですし、見ている間は非常に幸せな気分でいられます。
あくまでも「妄想」の世界のお話だと理解したうえでお読みになる事をお勧めいたします。

で、アセンションできなかったら、このようにいうでしょう。
次元とはパラレルワールドにになっている。
私たちはAという空間に存在しているが、アセンションの結果、振り落とされたものは失敗した瞬間にBという空間に移行した。

だから、Aの空間で隣のだれかがアセンションして居なくなったとしても気が付かず、Bの空間、初めから隣のだれかが存在していなかった次元を今までのAの空間と同じと勘違いして「アセンションは無かった」と思いこんでいる。

こんなことを言い出すに違いない。
2012年12月、楽しみのしようじゃないか!!
ただ、この論理では検証のしようがないがね。
そこがみそか?

つづく。



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