児玉誉士夫という名前を聞いて何を連想するかと言えば、やはり「ロッキード事件」「田中角栄」ではないでしょうか。
なかには「そんなのかんけぇね」(小島よしお)という世代もあるでしょうが。
ウィキで検索すると随分詳しく載っていますが、結局のところ「ろくなもんじゃぁねえ」ってことくらいで、なんだかよくわかんない。
で、簡単にまとめてみると
児玉誉士夫は、1911年に福島県安達郡本宮町(現本宮市)の没落した士族(旧二本松藩士)の家に生まれた。
1920年8歳の時に朝鮮に住む親戚の家に預けられ、京城商業専門学校を卒業した後(なお、その後日本大学皇道科を卒業したということになっている)、工場の単純労働者として辛酸を舐めた。
十代後半に「天皇直訴事件」を起こし投獄されるが、右翼の間では名前が一躍知られる事となる。
1938年、海軍の嘱託となり、1941年から上海で児玉機関を運営し、それをきっかけに黒幕へのし上がっていく。
当時海軍は、戦争の次期主力は戦闘機になると予測しており、軍艦から戦闘機に戦力をシフトしたがっていたが、軍部はこれを認めず、戦闘機に予算が付かなかったという背景がある。
そこで児玉を使って、戦闘機生産のため、ダイヤ、プラチナ、タングステンやラジウム、コバルト、ニッケルなど、海軍航空本部に納入する物資を調達した。
すなわちこれを児玉機関と呼んでいる。
調達とは名ばかりで現地の中国人に拳銃を突きつけ脅してタダ同然に調達したと言われている。
つまり略奪したわけですな。
第二次世界大戦の終結後に上海から持ち帰った資金(現在の時価にして3750億円)を海軍に返還しようとしたというが、この資金は、調べられれば、汚れた金であることがわかってしまう。
それで、戦時犯罪の疑いをかけられたくなかった海軍は、児玉に処分を依頼した。
児玉は岸信介、笹川良一、正力松太郎(読売新聞創業者)らとともに、A級戦犯として巣鴨拘置所に収監される。
ここでの人脈を「巣鴨プリズン・コネクション」という。
彼らA級戦犯はホワイトハウスの勅令で、CIAのエージェントとなり活動することと引き換えに無罪放免となった。
後に略奪した資金の一部で、岸信介、笹川とともに、鳩山ブランドの自由党(自民党の前身)の結党資金として提供した。
岸は、後に総理大臣になるが、この流れをくむのが自民党の「清和会」である。
言わずと知れた森派である。
この流れを知れば、自民党自体がCIAの傀儡政権であるという事は、想像するに易しい。
また、児玉の資金は現金ではなく、ダイヤとプラチナであったため、鳩山は河野一郎(河野洋平 現衆議院議長の父)に依頼しこれを現金化した。
児玉は確か満州で中曽根元総理ともつながりが出来、中曽根はのちに韓国大統領となる朴正煕との満州人脈が形成されてゆく。
中曽根と朴正煕は満州の同じ士官学校を卒業している。
こうしてみると、日本の主要な部分が全てCIAによって牛耳られているという事が良く解る。
そして児玉機関を支配していたのが、笹川良一。
つづく。