第二次世界大戦中にアメリカが極秘にスタートさせた原爆開発計画のことを「マンハッタン計画」と呼んでいる。
5万人にのぼる科学者・技術者を使い、総計20億ドル(7300億円)の資金が投入されたといわれている。
ちなみに、1940年の日本の一般会計は60億円、1945年で220億円ということになっている。
ニューメキシコ州の山奥に新設された秘密軍事研究所「ロスアラモス研究所」で、科学者たちは「原子爆弾」を完成させるべく日夜研究に没頭したのである。
「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者の中で、もっとも反日強硬派だったのはフォン・ノイマンだろう。
彼は日本人を蔑視し、京都を原爆の最初の血祭りにあげるべきだと主張した。
京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっていたというまさにその理由によって、京都の破壊を求めていたのである。
しかし、ヘンリー・スチムソン陸軍長官の反対によって、京都は原爆のターゲットから外された。
彼は、京都の代わりに長崎の追加を指示したのである(1945年7月22日)。
一般に、この時にスチムソンが京都を原爆のターゲットから外した理由として、「スチムソンは京都が歴史のある都市であることを理解していたから」という“美談”で語られる場合があるが、だまされてはいけない。
この“美談”は、戦後、GHQがお涙頂戴好きの日本人を洗脳する為に、意図的に流したニセ情報である。
アメリカ軍部の一部は京都を原爆投下目標とすることを諦めず、空襲を実施しなかった。
原爆投下後に原爆の影響を正確に把握するため、空襲が禁止されていたのである。
京都が最後まで空襲されなかったのは、原爆投下の前に日本が降伏したからにすぎない。
スチムソン以外にも、「京都を戦果から救った恩人」と言われるアメリカ人が何人かいるが、すべて何の根拠もない流言に過ぎない。
詳しくは吉田守男著『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』(朝日文庫)を読んで欲しい。
当時のアメリカ政府は、日本の文化遺産を根こそぎ破壊することに、なんのためらいもなかったのである。
京都・奈良・鎌倉など、貴重な文化財の残る古都がアメリカ軍の空襲を免れたのは、その価値を認めてくれたからだ、という「定説」は、まったくデタラメだった。
それどころか、京都は第3の原爆投下目標のひとつだったのである。
その証拠を丹念に洗い出し、この俗説が流布・信奉された理由を暴いている。
「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人を“劣等人種”として激しく差別していたことで知られている。
一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。
当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていた。
「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」
「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」
彼は強烈な親中反日主義者であった。
トマス・ブレーミー将軍も、こう演説していた。
「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。
人間と猿の中間にあると言っていい。
文明存続のために我々は最後まで戦いぬかねばならない。
日本人を根絶しなければならない!」
つづく。

