なわ・ふみひと氏のHPを訪ねてみると実に様々な著書のダイジェストが掲載されています。
参考になるものがたくさんありますので是非一度訪ねてみてください。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/update2010.html
日本博識研究所・著 日東書院 「2012年の黙示録」より。
●グラバー叙勲に力を尽くしたエリート外交官もメイソンだった。
トーマス・グラバーは1908年、外国人として初めて勲二等旭日重光賞を授与された。これに力を尽くしたのが林董(はやしただす)といわれている。
幕臣の家に生まれた林は、幕府の留学生として渡英。帰国後は榎本武揚に従って箱館戦争を戦うが、敗戦によって禁錮刑に処せられる。1870年に処分が解かれると、翌年には維新政府の地方官僚となった。
1895年に男爵を授爵した林は、政府内で順調に出世を続け、1900年に英国公使の任に就く。1902年の日英同盟調印に彼が果たした役割は大きいとされる。そんな彼がフリーメイソンの一員になったのは、翌1903年のことであった。
●ロッジ内でも政府内でも異例の出世
林は1903年2月、ロンドンの「エンパイヤー・ロッジNO.2108」に入会すると、同年3月に第2階級に、5月に第3階級に昇級し、翌年早々にロツジの総責任者であるマスターに就任した。これは同盟国のエリート外交官である林の立場を、他の会員たちが重んじた結果かもしれないが、いずれにしても林は初代英国大使にまで登りつめる。そして翌年の帰国後は第1次西園寺公望内閣の外務大臣に任ぜられた。在任中の1907年には伯爵に昇叙。幕臣出身者としては目をみはる出世物語である。
ちなみにのちに林の孫・忠雄が、三菱財閥の4代目総帥・岩崎小弥太の養嗣子(旧民法で家督相続人となる養子)となった。ここにもまた、メイソンと岩崎家(三菱)とのつながりが見られるのは興味深いことである。
●メイソンの教義「友愛」を掲げた内閣総理大臣
1954年から56年にかけて内閣総理大臣を務めた鳩山一郎は、戦後日本における代表的なフリーメイソンである。
1912年、東京市会議員に当選したことから政治への道を歩むようになり、その3年後には早くも衆議院議員に就任。当時の政治スタンスはどちらかというとリベラルなものだったとされているが、政治紛争や賄賂問題、第二次世界大戦後のGHQによる公職追放などで政治の表舞台から姿を消すこともあった。しかしその後、吉田茂内閣のあとを継ぐ形で、1954年から鳩山内閣をスタートさせ、1955年には自民党を結党したのである。
●首相就任と合わせてメイソン加入
フリーメイソンに加入したのは1955年3月で、第2次鳩山内閣の発足とほぼ同時期であった。当時の日本のメイソンの多くは、同じくメイソンだったマッカーサーの手引きによるものだったから、鳩山もまた彼の紹介を受けたものと考えられる。加入の儀式は東京テンプルと呼ばれる建物で行なわれ、日本メイソンのすべてのメンバーが同席したという。
メイソンの教義を受けた鳩山は「今後はフリーメイソンの教義に従ってすべての活動を行なう」と述べるほどの感激ぶりだった。同時にソ連共産主義に対するアメリカとの共闘も約束したが、それが守られたかは疑わしい。 1956年にソ連との国交を回復させ、日ソ共同宣言を結んだからだ。しかし、メイソンの教義は孫である鳩山由起夫・邦夫兄弟に受け継がれ、特に鳩山由起夫は「友愛」の言葉を好んで口にするなど、祖父・一郎の影響を色濃く受けている。
●秘密結社としてマークされた長い冬の時代
フリーメイソンは生前、自分が会員であることを非公開とし、死後になってその事実が明らかになることが多い。とはいえ、さまざまな理由から、死後もメンバーであることが秘匿され続けている者もいる。
そうはいっても、第2次世界大戦以前は、日本人のメイソンメンバーはほとんどいなかったといえるだろう。 1887年に保安条例、1900年に治安警察法が制定されたことにより、集会・結社の自由が制限されたのである。
メイソンはこうした情勢をふまえ、日本人への働きかけを自粛。結果、生前にメイソンに関わった日本人は、海外ロッジの入会者に限られていたのである。
●戦後は日本の指導者層にも浸透
1941年の対米宣戦布告以降、ロッジはすべて閉鎖に追い込まれ、メイソン冬の時代はピークを迎えた。その状況が好転するのは戦後になってからのこと。敗戦の翌1946年からロッジの再建がはじまり、5年後の1950年には、政治家の佐藤尚武や三島通陽、「日本のビール王」と呼ばれた高橋龍太郎らが、公式に伝えられる初の日本人会員となった。また、鳩山一郎、東久邇宮稔彦、幣原喜重郎、吉田茂といった総理大臣経験者もメイソンだったといわれている。
諸説があるが、これらの顔ぶれを中心に確実なものからウワサレペルまで含め、日本人メイソンとしてこれまでに10余名の名が挙がっている。ちなみに、自身もメイソンの会員だったGHQ最高司令官マッカーサーは、昭和天皇の入会にも期待を寄せていたというがこれは実現しなかった。

