ときどき登場するニコラ・テスラについて、新しい資料を手に入れましたので掲載いたします。
1915年、今から95年前の話です。
彼は、地球の自転のエネルギーを使って無尽蔵にエネルギーを取り出す事に成功しました。
鬼才ニコラ・テスラがニューヨークタイムズに自ら寄稿した原稿があります。
電線エネルギーを電線を使わずに送り、遠隔地において破壊的効果をもたらすという技術は完全に実行できる。
私自身すでに電線を全く使わない送電線を発明している。
最近許諾された1197325で使用される送電線を(有線でない送電線)を用いれば我々は望むところの電気エネルギー望む場所に送る事が出来る。
その用途は無限といってよいだろう。
その言葉を言いかえればそれは平和的にも軍事的にも利用が可能だ。
改めて彼の都市伝説を振り返ってみましょう。
■フィラデルフィア実験■
1943年、第二次世界大戦のさなか、アメリカのフィラデルフィアで驚くべき実験が行われた。アメリカ海軍が行ったこの実験の目的は、軍艦をレーダーから見えなくするというものであった。
むろん、これだけなら、驚くにあたらない。
現代でも、ステルス技術は存在する。
レーダーから放射された電波を吸収してしまえば、電波が反射しないため、レーダーではキャッチできない。
つまり、レーダーでは不可視となる。
ところが、フィラデルフィア実験では、軍艦はレーダーから消えたのではなく、人間の目から消えたのである。
実験台となった軍艦エルドリッジは、いったん消滅し、数百マイル離れたノーフォークに突然現れ、再びフィラデルフィアに現れた。
つまり、ワープしたのである。
話はこれにとどまらない。
還ってきた軍艦エルドリッジの中では、異常な事態が発生していた。
乗組員の身体が、甲板や壁にめり込んでいたというのだ。
1つの空間に2つの物体が共存する異常世界である。
これは、かなり有名なネタで、しかも面白いため、SF映画の格好の題材となった。
しっかり映画化され、続編までつくられている。
映画のほうもネタ同様、なかなか面白く、一見の価値あり、である。
この話は自分で見聞きしたわけではないので、真偽のほどはわからない。
それでも、一般常識から次のようなことは言える。
この実験のように空間を歪曲させるためには、とてつもない重力が必要になる。
例えば、太陽系最大の重力をもつ太陽の近傍でさえ、ほんのわずかしか空間は曲がらない。ましてや、先の実験のように、空間をアメのようにひん曲げるには、太陽サイズの物体がいくつあっても足りないのではないか?。
だいたい、そんな技術をアメリカが所有していたとすれば、原子爆弾などというチャチな兵器は不要だったはずだ。
空間を割って!物体を移動できるのである。
世界の戦術を一変させる地球スケールの超弩級兵器だ。
広島と長崎に投下された原子爆弾の製造プロジェクト『マンハッタン計画』など、歴史年表から消えていたに違いない。
この実験が行われたと言われる1943年は彼が亡くなった年でもあり、この時点で当局が、研究資料の全てを手にしていた訳ではないでしょうから、実用化までには至らなかったともいえる。
■マッド サイエンティスト■
そして、この不名誉な実験に登場するのが、電気技師ニコラ テスラである。
空間をひん曲げるために、テスラが発明したテスラ コイルが使われたというのだ。
確かに、テスラ コイルは実在する装置だが、電圧を変換するためのもので、物質転送の助けになるとは思えない。
ところが、『テスラ コイル』という言葉には、不思議なカリスマがあり、怪ししい分野で形を変え登場する。
1950年代には、ニコラ テスラのもとで働いていたと称する発明家が、画期的な航空機を発明したと発表した。
空飛ぶ円盤の原理で飛ぶのだという。
動力は、UFOでおなじみの重力場推進。
予定では、地球の重力圏を瞬間に離脱、宇宙に飛び出すはずだったが、成功したというニュースは今も聞かない。
さらにテスラが関わったとされる装置を列挙すると、人工地震兵器、殺人光線、気象兵器、反重力装置。かくして、テスラは歴史上最大のマッド サイエンティストに祭り上げられたのである。
■ニコラ テスラの偉業■
ニコラ テスラは、1856年7月にクロアチアに生まれた。
大学で電気工学を学んだ後、パリで働く。その後、アメリカにわたり、エジソンの会社で働くが、意見が対立し退社している。
原因は、送電方式の対立にあったと言われた。
電力を送る方法には、直流方式と交流方式がりますが、エジソンは直流方式を、テスラは交流方式を主張した。
それぞれ、メリット、デメリットがあるが、現在、世界で使われているのは交流方式である。
つまり、現時点では、テスラが正しく、エジソンは間違っていたことになる。
ニコラ テスラは、マッド サイエンティストなどではなく、真面目で優れた発明家であった。1888年には交流発電機と交流電動機(交流モーター)を発明している。
世界を変えた歴史的な発明だが、知名度は限りなくゼロに近い。
エジソンの白熱電灯のほうがよほど有名だ。
白熱電灯などすでに過去の技術だが、交流モーターは、今でも使われている。
しかも、白熱電灯と交流モーターでは技術のレベルがまるで違う。
にもかかわらず、エジソンの知名度がテスラの1000倍!一体どうなっているの?
なんでなの?
テスラはたんに、歴史を味方につけることができなかった?
いや違う、テスラの発明は軍事利用が大いに期待されたため、表に出る事を嫌った当局が世間に知られぬように封印したのとちがう?
1899年、標高2000mにある町コロラドスプリングズで、ニコラ テスラをマッド サイエンティストならしめた歴史的実験が始まった。
実験が行われたワーデンクリフ研究所の中央には、高さ60mのポールがそびえ立ち、先端には不気味な金属球が輝いていた。
研究所の中では、異様さはさらに拍車をかけた。
巨大なコイル、コンデンサ、無数の配線が血管のように張り巡らされている。
むろん、テスラの十八番『テスラ コイル』もある。まさに、マニアが泣いて喜ぶマッド サイエンティストの世界だったでしょう。
ここで、テスラが目指したのは『世界システム』とよばれる装置だった。
情報とエネルギーを無線で世界中に送るという地球スケールの超技術である。
もちろん、このシステムで、テスラ コイルは大活躍するはずであった。
ところが、この壮大な実験は、莫大な資金を食いつぶしたあげく、とん挫する。
つまり、失敗したのである。
ちがう、資金をロックフェラーが引き上げたんじゃない?
そんなすごい物を発明されたら、石油メジャーが困るでしょう。
石油メジャーって、誰ですか?
ロックフェラーその人。
■ニコラ テスラの晩年■
ニコラ テスラには生涯2人の偉大なライバルがいた。
一人は送電方式で争ったエジソン。
エジソンは、1300もの発明をなしとげ、歴史上最大の発明家として名を残した。
もう一人のライバルは、無線通信で争ったイタリアのマルコーニ。
テスラとの戦いで勝利したマルコーニは、無線電信装置の発明者として名声を得、ノーベル物理学賞まで受賞する。
テスラのこの2人のライバルは、世界を変えた発明家として、歴史にその名が刻まれている。
一方、テスラは、この種の名声には無縁だった。
かわりに得た名声が、マッド サイエンティストだった。
それでも一つ、ささやかな名を残すことはできた。磁場の強さを表す国際単位に『テスラ』が採用されたのだ。
テスラが陽の当たる世界で得たたった一つの名声であった。
テスラは、ハンサムで190cmを超える長身だったが、生涯独身で、晩年は一人でホテル住まいをつづけた。
そして、1943年1月8日の早朝、家政婦によってテスラの死が確認される。
97年の人生であった。ところが、テスラが死んだ後、奇妙な噂が流れた。
死体が運び出された直後、FBI捜査官がテスラの部屋を物色し、テスラが発明した超兵器の資料を没収したというのだ。
こうして、偉大な電気工学者ニコラ テスラは、死してなお、マッド サイエンティストとして君臨するのである。
つづく。