2010年11月12日

日本語のルーツ。

ここしばらく日本語とはなんぞや?とおもい調べていました。
戦後のカタカナ、横文字文化はちょっと横に置いときますが、現在使われている日本語の中には、ヘブライ語がそのままの読みと意味で使われているものがたくさんあるようです。

これは後に参考までに記しますが、大掴みに説明しますと、紀元前600年ころ古代イスラエルの南朝のユダヤ人が黒潮に乗り日本の淡路島に到着した。
その後、徳島、丹後、丹波、に分かれたようです。
京都にその本拠地が移ったのは、秦氏が来てからの事で、「太秦」などという地名はまさにそこが秦氏らの居住地であったことを意味します。

さて、日本に渡り来た多いなる目的は、自分たちがバビロンに侵略され、契約の箱を奪われる事を恐れたためでしょう。
この時期は日本に初めて天皇制が出来た頃と重なります。

当時日本はまだ縄文時代で、他民族がコロニーを作り定住していたと考えられています。
そこへ古代ユダヤ人が新たに加わった訳ですね。

さらに時が過ぎ応神天皇の頃にはシルクロードを通り朝鮮半島を経由して北朝のユダヤ人が押し寄せてきた。
これが「秦氏」と呼ばれる人々です。
秦氏が日本に到達するまでに、中国の漢字の中にヘブライ語を託したのではないでしょうか。

たとえば「犠牲」という字はどちらも牛へんですね。
古代イスラエルには自分の犯した罪を牛や羊を身代わりにたて、身そぎ清めるという習慣がありました。

特に「犠」という字は牛や羊で我を隠すという構造になっています。
興味深いですね。
古代イスラエルの言葉と漢字のつながりがこれでお分かりになると思います。

古代イスラエルは、エジプトに侵略され、バビロンに侵略されそれぞれ捕囚の身になったことから、言語もそれぞれに入交り、つまり「方言」の多い言葉になって言ったようです。

狭い日本においてこれほど方言が多いいわれかもしれません。

日本には太古の昔、神代文字というものが存在していたようですが、古代ユダヤ人が入ってきて変わっていったようです。

日本人の先祖は半島人という説がありますが、ユダヤ人=秦氏が半島を経由して漢字を携えて来たことが、その根拠だと思いますが、彼らユダヤ人は混血を嫌いますので、それはほとんど考えられないと思います。

たとえばの話ですが、ロスチャイルド家の娘さんがロックフェラー家のご子息と恋仲になったとしても、その結婚が許される事は決してないようにです。
それは民族的な血の繋がりがないからです。

混血を嫌ったが故に、彼らは海に囲まれ、外界に交わることの少ない日本という地を選んだと考えるのが流れとして自然ではないでしょうか。

日本語のルーツは古代イスラエルの言語によるところが多いでしょうが、しかし、それは即ヘブライ語とはならないことはバビロンやエジプトの捕囚の身になってしまった経緯から推測する事が出来ますし、イスラエル12部族が成立したエジプト時代に、モーセの姉ミリアムが王女と直接話をしていことから、エジプトのイスラエル人はエジプト語も話していたでしょう。

それではヘブライ語と日本語の共通することばをいくつかあげてみましょう。
・相撲の時の掛け声、ハッケ=撃ってしまえ、ヨイ=やっつけろ、ノコッタ=あなたは敵を打ち破った。
・バレル=ばれる、明らかになる。
・ダベル=おしゃべり。
・はえる=輝く。
・ハラ=腹を立てる。
・ハヤ=速い。
・コオル=凍る。
・カサ=傘
・クモツ=供物。
・ミツ=蜜。
・ナク=泣く。
・ハシャク=はしゃぐ。
・バラス=バラバラにする。ばらす。
・サブー=寒い。
・モノ=物。
・ミズラ=水。
他にも意味的に日本と同じ事で使われているのでなじみの深い物には、
神社の鳥居=玄関の門。
まな板=マナの壺から取り出したごちそうを切り分けるのに使った板。
バカ=Baa(魂を意味します)Kaa(霊的なものを意味します)つまり、魂が高揚して人間的なものから逸脱した状態を意味します。

古事記に出てくる、イザナギ、イサナミのミコトはイザヤの事かもしれません。
アインシュタイン博士が来日した時に、東北地方の講演会で「あなた方の70%はユダヤ人だ。」といった記録があるようです。
顔立ちをみて、そう感じたのでしょう。
とすると、やっぱり日本人の祖先の多くは古代ユダヤ人なのでしょうか?
ところが、そう考えるのもまた尚早なのです。

なぜならば、日本には古事記よりも300年は前に記録されたと言われている「竹之内文書」という古文書の存在があります。

戦後GHQによって、そのほとんどが没収、または焼失したと言われていますが、竹之内家によってある程度書き直されているようです。

もし、竹之内文書の記述が本当だとしたら、ユダヤ人が日本人なのではなく、古代日本人がユダヤ人という事になります。

話は変わりますが、庶民という言葉のルーツは何か知っておいででしょうか?
縄文時代の日本は多民族国家であった事は先述いたしましたが、じきに弥生人が日本に入ってきて、稲作や、鉄器を伝えました。

彼ら、弥生人とは中国人の事です。
圧倒的に社会的優位に立った弥生人はあちらこちらに、縄文人との間に子供を作りました。
そのうまれた子供の事を、「庶子」と呼び、「庶子」が非常に多くなって「庶民」になったと言われています。

「私たち庶民」という言い方をしますが、実は意味的には、中国人とも間にできた子供達という意味です。

竹之内文書については、当ブロブ、「人類の起源」に少々乗っていますので、参考までに一読ください。
長い文章なので、日を改めまして、再掲させていただきたいと思います。

つづく。

posted by コスモ at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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