2011年01月05日

近衛文麿。

久しぶりの更新になります。
新年早々重大決心をしたため身辺が慌ただしく、床についても脳が覚醒していて、眠っているのか、起きているのかわからないという、意識のはざまを漂っておりました。

先ずは今年もよろしくお願いいたします。

何を考えるにつけ、日本が劇的に変遷していったターニングポイントはやはり太平洋戦争、いや、大東亜戦争というべきでしょう、この戦争の敗戦から始まったという事は間違えのない事でしょう。

開戦に際しては、当ブロブ「アメリカの戦争責任とハル・ノートの真実」で詳しく述べさせていただきましたが、日本の内部からみた大東亜戦争の仕掛け人「近衛文麿」について取り上げてみたいと思います。

近衛文麿は共産主義者であったと言ったら「えっ?」て思いますか?
実は紛れもなくかれは超一級の共産主義者でした。

近衛内閣の外務大臣であった生粋の民族主義者、松岡洋右は東条英機に対し17メートルにわたる毛筆による手紙(現在は国立図書館に保管)を書きましたが、その長い手紙の内容はつまり、「近衛には気をつけろ」というものでした。

松岡は国際連盟を脱退したことで有名ですが、彼は、国際連盟の本当の目的を見抜いていたのでしょう。
所詮国際連盟も連合も、貧しい国が不平不満を言う場所にすぎず、世界統一政府実現のための一つの機関にすぎません。

松岡は連盟を脱退して、独自の外交を模索しましたが、世界支配層と繋がっている近衛は松岡の民族主義を許さず、これを更迭しました。

近衛は東大の哲学部を卒業しましたがある日、京都大学の教授で、共産主義の大御所、河上肇の元へ飛びました。
また、近衛は「アメリカ、イギリス本位の平和主義を排す」といい、ユダヤ人のオスカー・ワールド著「社会主義化における人間の魂」を翻訳し発禁になったという経緯もあります。

近衛家は藤原家の流れであり五摂家の筆頭でもあり、当時天皇の前で唯一、足を組むことを許されたと言われています。
摂家とは、鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流公家の家格の頂点に立った5家のことを言い、大納言右大臣左大臣を経て摂政関白太政大臣に昇任できました。
近衛家九条家二条家一条家鷹司家の5家があり、645年の大化の改新以来今日に至るまで天皇を支え続けてきている家柄で、元の内閣総理大臣細川護熙は外孫に当たります。

敗戦以降身分制度は目に見えなくなり、「人は平等だ」と思っている方も多いかと思いますが、そんな事はありません。
大化の改新以来、ずっと日本の支配層は天皇家と藤原の流れが中心といってもよいでしょう。
つまり古代ユダヤの血流が常に日本を支配してきました。

現在の日本の国体(国会議員の中には在日帰化人、2世、3世が多い)をみると朝鮮族に日本が支配されているように見えますが実はそうではありません。
ユダヤ金融資本と繋がった本当の日本の支配階級が彼らを支配しています。
所詮は議員も総理大臣も飾り物です。

1192年、鎌倉幕府によって藤原氏は第一線から退きましたが鎌倉幕府を樹立させた源氏は、所謂貴族の用心棒をしていましたが、反旗を翻し藤原氏を蹴落としました。
身分は違っても同じ同族古代ユダヤ血流です。

この時に制定された守護・地頭が毛利(長州)と島津(薩摩)で、後に明治維新に大きな役割を果たす事になるとは、やはり不思議の国日本でしょうか。

さて話を元に戻して1945年2月14日に近衛が天皇に宛てた「奏上文」を見てみましょう。
原文は読みずらいので現代文に近く直して見ました。

戦争は遺憾ながら最早必至なりと存じ候。
以下この前提の下に申し候。

つらつら思うにわが国内外の情勢は今や共産革命に向かって急速度に進行しつつありと存じ候。
すなわち国外においてはソ連の異常な進出に御座候。

少壮軍人の多数は、わが国体と共産主義は両立するなりと信じいるものの如く。
軍部内革新論の基調もここにありと存じ候。

職業軍人の大部分は中流以下の家庭出身者にして、その多くは共産的主張を受け入れやすき境遇にあり。(軍人ほど共産主義思想を受け入れやすい物は無いということ。)

よくよく満州事変、支那事変を起こしこれを拡大してついに大東亜戦争にまで導きこれたるは、これら軍部内の意識の意識的計量なりしこと、今や明瞭なりと存じ候。(自分自身のたくらみを述べている。)

事変長引くがよろしく、事変解決せは、国内革新ができなくなると公言せしは、この一味の中心人物に御座候。(自分自身のことを言っている)

これら軍部内一味の狙いは必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取り巻く一部官僚および民間有志、これを右翼というも可。左翼というも可なり。いわゆる右翼は国体の衣を着た共産主義者なり。(右翼も左翼も同じだと言っています。)意識的に共産革命にまで引きずらんとする意図をほうぞうし、無知、単純なる軍人これに踊らされたりみて大過なしと存じ候。

昨今戦局の危機を告ぐるとともに、一億玉砕を叫ぶ声、次第に勢力を加えつつありと存じ候。
掛かる主張をなす者は所謂右翼者流れなるも背後よりこれを先導しつつあるはこれによりて、国内を混乱に陥れ、革命の目的を達せんとする共産分子なりと睨みおり候。

ガラスケースに飾られた「共産主義思想」を眺め、貧しい者たちは共産主義とは愛情あふれ、ヒューマニズムにあふれていると勘違いしてしまう。

近衛は自分の思想を実現するために、日本を混乱のどん底に陥れ共産主義化を企てていたとみられます。

既に自分の長男をスターリンの元に送っており、日本が共産化した後の事を計画していたのでしょうが、天皇が近衛の思惑に反し、本土決戦を避けたため、結果、日本の共産化は避けられました。
共産化社会が構築されれば自分の立場がなくなると考えたのでしょうか。

官僚中心の中央集権。一億みな中流意識。平等な学校教育。出来ない子に合わせた教育。
かろうじて日本が比較的高い学力水準を維持できているのは「塾」の存在があるからにほかならない。

表向き日本の共産化は避けられましたが、事実上日本は地球上でもっとも共産化の成功した国であるというのは何とも奇妙な感じがします。

戦後近衛は、戦犯容疑で東京裁判に出廷を言い渡されたのち自殺しましたが、自殺の理由ははっきりしません。
実はスターリンの元に送り届けた長男がスターリンにより殺害された事が一つの大きな理由かもしれません。

「夢、破れたり」 でしょうか。

1941年10月、東条内閣が発足しましたが、この年の12月8日真珠湾。
既に近衛によって、開戦の準備が整えら得ており、東条にとっては如何ともし難い状況であったでしょう。
戦後、世界中から悪魔の権化のように言われて本当に気の毒だと思っています。

ただ、何度も述べてるように、東条の処刑後の亡骸は、散骨され遺族の元には戻ってはおらず、筆者としえは、絶対に生きて、寿命を全うしたと考えております。
東条内閣は天皇の一存で成立した内閣で、東条は正確には首相ではなく、宰相です。
天皇の信頼が厚く、東条に日本を託した天皇が、東条一人を死なせる訳はない。

世界中見渡す限り、何処の国も貧しい者があふれており、今後ますます貧しい者はさらに貧しく追い込まれてゆくでしょう。
なぜ、はっきりといいきれるのか?
世界統一政府の構築時期が目の前に来ているからです。
すなわち、世界は共産化していく訳です。

近衛さま、もうじきあなたの夢がかないそうですよ。

つづく。





posted by コスモ at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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