2011年12月01日

失われた10年とは何か。





下記の記事を見て、クリントン元大統領が在職中「本当に勝ったのは日本だ。」と述べたことを思い出す人も多いのではないでしょうか。

●日本は落第生ではない、「失われた10年」に学べ
http://ceron.jp/url/www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=44567

2010年8月11日、英紙ガーディアンは日本経済に関するコラムを掲載。
いわゆる「失われた10年」は経済的な失敗ではなく、米国とは異なる発展モデルを選んだ結果だと分析した。
13日付で環球時報が伝えた。以下はその抄訳。

経済学者たちは長年にわたり、日本経済に不当な評価を与えてきた。
考えてみよう。

世界経済が後退する中、米国の失業率は10%に迫っている。
格差と貧困は激化し、4700万人が医療保険に加入しておらず、中産階級の年金は脅かされている。
欧州もまたさまざまな問題を抱えており、急成長を続ける中国もバブルが懸念されている。

では日本はどうだろうか?失業率は5%程度。
格差も他国ほど鮮明ではない。
全国民が医療保険を享受し、今なお世界の主要輸出国としての地位を保っている。
平均寿命は世界トップクラス。
乳児死亡率も低い。
教育水準は高く、犯罪、精神疾患、薬物乱用はいずれも低レベルにとどまっている。
炭素排出量も低水準ときわめてエコ。

あらゆる面で日本は米国より優位に立っているではないか。
なぜ日本が米国やその他苦境に立たされている国の教科書とならないのだろうか。
米国の著名経済学者クルーグマン氏を筆頭に、経済学者たちは日本経済をたたき続けてきた。
「日本シンドローム」という言葉まで作られたほど。

しかし経済とは何のためにあるのか、もう一度考えてみるべきだ。
人々に繁栄と安全を与えるためか、それとも経済学者の理論とモデルに従うためにあるのか。
今の時代に与えられた重要な教訓は2つある。
バブルは必ず崩壊する。
制限のない成長は環境を破壊する。

つまりもはや経済成長ばかりを求める時代ではなく、持続可能な発展を、お金を使わずに多くを成し遂げることを摸索しなければならない。
先進国が異なる成長モデルに切り替えることはたやすいことではない。

しかし日本、そしてドイツはそれを成し遂げた。
米国もまた両国にならうべきであろうし、現在の浪費型経済を改めれば、あるいは現在ほど多くの財政出動と成長計画を必要としなくなるかもしれない。

以上。

「米国とは異なる発展モデルを選んだ結果」ではない。
そう、この結果は決して我々が意図して選んだものではない。

我々はむしろ「ずっと成長し続けたかった」と考えている人がほとんどだろう。
もちろん私自身もそうだった。
いつかもう一度、きっと今度こそ、明日はきっと、来週は、来月は、来年はと思って張っちゃ気になっていた。
でも、いくら努力しても、いくら頑張っても、いくら願っても、望んでいたものには少しも近づけず、おかげでこの頃やっと眼が覚めかけてきた。

もしもあなたが「神」といわれるような存在だとしたならば、あの狂ったようなバブルをどう見ていただろうか。

「おいおい、金崇拝主義もいい加減にしておけよ。」
「だめだなぁ、まだ気がつかんかこのバカどもめが!仕方あるまい・・・」
と言ってちょちょいのちょいと魔法のステックをふったに違いない。

雲の上からユダ金を操り覚醒しようとしたかもしれない。
行くところまで行かなければ気が付かない、たとえ気が付いていても、やめられない。
そんな人間の世界だから、この世界に精神性の高い文化を築き上げるには、ユダ金を使い徹底的に金にまみれさせる必要があったのかもしれない。

そう考えるとユダ金の存在さえ、神仕組みの一つという事になる。
こんな事を書くとどこかの宗教でインチキ教祖様に洗脳されている人は泣いて喜ぶかもしれないが、私は決して宗教など肯定しない。

「神=創造主」や「宇宙の法則」の存在は判るが、宗教は別だ。
宗教とは「神」を商業にしているただの利益追求団体だ。
「神」という存在からはむしろ一番遠い存在となる。

つづく。


posted by コスモ at 01:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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